2016年10月30日

おんたけ湖ハーフマラソン完走記

おんたけ湖ハーフマラソンを無事完走しました。 昨年に引き続き2回目の参加です。 

おんたけ湖ハーフマラソンに参加しようとした理由は、毎年家族でおんたけスキー場で行って楽しむことができた恩返しと、王滝村を元気づける為です。

前日から現地入り。 まずは受付して寄せ書きに「決意」を書きました。 決意とは言っても「スタートラインに立てることに感謝します」ということを書きました。 今の体調では贅沢は言えません。

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林道を車で上り、田の原まで行きました。 寒かったです。 気温4℃標高2180mです。 ここで御嶽山を眺め、献花台にて合掌しました。 噴火から2年余り。 まだ5人の方が行方不明ということで何とも言えない気持ちとなりました。

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田の原からスキー場の頂上まで歩いて上り、家族で滑ったスキー場を眺めました。 ここも思い出の場所を一つです。 

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また夕陽と雲海も眺めることができました。 雲海は絶景でした。

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田の原から降りて宿に到着。 宿は王滝村の中心部にある「滝旅館」です。 文豪 島崎藤村が愛用した旅館です。 マラソン参加者で混雑していましたが、8畳の和室で私一人でした。 何とも贅沢と申し訳ない気分でした。 部屋の中は広すぎて寒くストーブを点けました。 

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そして本日開会式に参加。 昨年は開会式の前で黙祷があったのですが、今回はなかったです。  大会実行委員長の村長さんのご挨拶でも、そのことは触れていませんでした。 この事はマラソン大会で似つかわしくないことかもしれませんが、少し寂しい気持ちとなりました。

御嶽神社の宮司さんの全員の無事の完走を願って安全祈願をし、王滝小学校と中学校の児童会長と生徒会長による選手宣誓がありました。 何とも微笑ましいです

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9時30分ハーフスタートです。 出走者数644人です。 後方に並びましたが、スタートロスは30秒位でした。 ペースはキロ約5分20秒位でした。 暫くしておんたけ湖の湖岸を走ります。 昨年よりは紅葉は進んでいませんでしたが、景色は最高です。

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6km付近から上りに入ります。 ここも何とかキロ6分以内まで抑えました。 そして下りに入りやっとペース

10km手前で湖の終点であるダムを一気に下ります。  

そして11kmから再び上ります。 ここは一番きつい坂ですが。ここは何とか粘ってキロ5分台をキープ。 上り切って暫くフラットコースに出ます。 ここは5分10秒前後をキープし、再びキロ15km付近の上りきった後、集中してフィニッシュを目指します。

かもしかマラソンの様に50分切りと思いましたが、早々に無理だと諦めました。 しかしフィニッシュまで精いっぱい走りました。 腰の違和感は大ですが、何とか折れることなく走り続けました。

フィニッシュ前に名前のアナウンスとゴールテープが準備されており、気持ち良くテープを切りました。

タイムは1時間52分43秒でした。

この大会は応援は多くはありません。 でも「また来てくれた!!」という村民の方たちの喜びを肌で感じました。 また紅葉の山と湖が素晴らしく力となります

王滝村の皆さん、ありがとうございました。 参加のランナーの皆さんお疲れ様でした。

帰り際の駐車場の出口の看板に「ありがとう。 また来年も来てね」と書いてありました。 リピーターとしてこの大会を盛り上げていくことが王滝村の為になると思います。 来年も参加します。 

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RESULTS
0-5km 27'42"
5-10km 54'01"(26'19")
10-15km 1:20'42"(26'41")
15-20km 1:46'56"(26'14")
20-F 1:52'43"(5'47")

部門順位:57位/128人中
総合順位:227位/644人中

PS. 帰りに「王滝の湯」に行きました。 村の中心部から林道を上るのですが、途中から未舗装となり、少し不安となりましたが、無事辿り着きました。 いい温泉でした。

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2016年10月25日

「鈴鹿セブンマウンテンに登ろう!!!」 藤原岳編

先日の日曜日は藤田会登山部「鈴鹿セブンマウンテンに登ろう!」に参加しました。 今回の目的地は「藤原岳」です。 作家の田中澄江の随筆の「花の百名山」の一つとして紹介され花の美しい山です。

藤原岳は20年?振りで登山です。 ゴミを拾いながら登山する。清掃登山以来のことでした。
過去の記憶では楽勝と思いながら、挑みましたが、きつかったです。 でも新たな発見もあり素晴らしい登山でした。

三岐鉄道で西藤原駅下車。 途中小学校がありましたが、もうすぐ閉校らしいです。 少し寂しい気持ちとなりました。
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裏道(聖宝寺道)で登山。 最初から階段、また堰堤(えんてい)を超えた後、つづら折りの上り。 少し心が折れました。 水1L、スポーツドリンク0.5L、お茶1.5L、その他加えて全重量5.4kgのリュックは重かったです。
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しかしその内に慣れて何とか避難小屋まで到着しました。
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ここでカップラーメンとコーヒーをいただきました。 美味しかったです。 お湯を沸かしていただいたM師匠に感謝です。
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その後、頂上まで登りました。 頂上からの眺めは素晴らしいかったです。 四日市や木曽三川も見ることがてきました。
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少しだけお花も咲いていました。 多分「ゴマナ」と思います。

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頂上付近一帯と少し過ぎた辺りもは石灰石石柱が点々とありました。 この風景はカルスト台地と鍾乳洞で有名な山口県の秋吉台にそっくりだと思いながら歩きました。 この石灰石石柱は「カレンフェルト」と呼ばれ秋吉台でも有名です。 このことは後から博子部長から教えて頂きました。 ありがとうございます。

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巨大なケルンを発見。 私も1個積み上げました。
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帰りは天狗岩に立ち寄りました。 ここは怖くて下を覗くことができませんでした。 
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そして下山開始。 鉄塔に到着。 下は中里ダムが見えます。
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その後、途中何回か転倒、いが栗のトゲが手のひらに刺さり出血し痛いを思いましたが、無事下山。 約13km、6時間半の行程でした。 

そして阿下喜のホテルでの温泉と打ち上げ、楽しかったです。 
今回は登山はあまり自信なかったのですが、12月の2本のトレイルの大会に向けていい練習となりました。
博子部長には感謝です。 参加の皆さんお疲れ様でした。
 

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2016年10月22日

歩こう会

今日は高校同窓会の歩こう会でした。 目的地は岐阜県揖斐川町にある谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)です。西国三十三所満願霊場です。 いわゆるマラソンにたとえると西国三十三所のフィニッシュ地点となります。

大垣駅から電車に乗ります。 樽見鉄道です。

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車内の様子です。

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約40分で谷汲口駅から歩きます。 華厳寺まで一里(約4km) 川沿いをゆっくり歩くきます。

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華厳寺近くに駅がありました。 名鉄谷汲線です。 2001年に廃線となりました。 今の交通手段はコミニュティ―バスです。

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参道を歩きます。 観光客はちらほらという感じです。 でも紅葉の季節となったら人は増えるでしょう。

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山門で集合写真です。 ほとんどの方は私より先輩となります。 

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本堂の階段です。 結構急です。

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そして本堂の赤ちょうちんです。立派です。

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境内の紅葉はまだです。

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御朱印を頂きました。 3つの御朱印です。 「現世」「過去世」「未来世」という意味らしいです。何と書いているか調べてみます。

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満願堂です。
 
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お土産は富有柿と草餅。 楽しみです。

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参拝後、皆で山門の前の旅館で温泉と食事会をして親睦をはかりました。 次は名古屋での忘年会です。

今度は紅葉の時にじっくりと回りたいです。 
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2016年10月17日

鈴鹿山麓かもしかハーフマラソン完走記

昨日「鈴鹿山麓かもしかハーフマラソン」に参加し完走しました。 昨年よりこの大会に復帰。 8回目の参加となります。2005年のプレ大会である「菰野町民マラソン大会」に参加しているので思い入れのある大会の一つです。

くまのみさんと電車で移動。 ここで中菰野駅でちえみんにお会いしました。 前日から7夜通し70km走った後の応援ということで感謝です。

会場に8時半過ぎに到着。 天気が良く暑い位です。 受付終わった後、所属の藤田会のメンバーと藤田会&frunのRAXSさんと合流。 そしてのびたさんとの力強い握手、嬉しかったです。 RAXSさんと同じ新しいfrunのランシャツにて出走することになりました。そして「一緒に走るましょう」と声をかけ並走することになりました。

スタート前にRAXSさんとくまのみさんと軽くアップしました。 アップ中に数人の走友から声をかけて頂きました。 知っている仲間が多いこの大会。 魅力の一つです。

20分前にRAXSさんとスタートラインに立ちます。 「どこに並びますか?」とRAXSさん相談した結果、1時間45分のペースのエリアに並びました。 少し速いエリアに並んで大丈夫かな思ったのですが、今から思うと正解でした。

ここで大会スタッフのはぴちのPapaさんと会い握手しました。 ハンドマイクで「私と同級生です」と紹介してくれました。 嬉しかったです。 

11時にスタート。 最初は上りです。 そして高速道路の工事の為、2箇所の急カーブ。 大会スタッフの「急カーブなので気をつけて下さい」との声掛けによりスムーズに走ることができました。 藤田会のメンバーの応援を受け約2.5kmの坂を上りきりました。 ペースはキロ5分半です。 想定はキロ6分でしたが、随分速いペースです。 そして秋桜畑を過ぎて、田んぼを両側に見ながら下ります。 ここでペースは5分を切る様になりました。 RAXSさんとの並走です。 下りきって5kmを25分52秒で通過、藤田会のメンバーとツウランさん、ヨネヨネさん夫妻との応援を受け先を進みます。

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7km手前で応援のY田先生とハイタッチ。 私と同じ膝の手術されて復活。お元気そうで良かったです。
やがて国道に入ります。 ここで私がRAXSさんより少し先行しますが、RAXSさんの苦しいそうな息遣いが聞こえてきます。 しっかりついてきていると思い気合いが入ります。

国道から左折し、いよいよこのコースの最大の難所である尾高高原への上りが始まります。 8→9km 5'02"
9→10km 5'52" 10→11km 6'15"と急激にペースダウン。 この坂は絶対に歩かないと決めたので頑張って走り切りました。 そのおかけで腰に相当にきました。 11kmから下りですが、腰のダメージが強く気持ちよく下れませんでした。 RAXSさんとも並走しますが、RAXSさんも脚が痛いそうです。 息苦しさと脚の痛みに闘って走るRAXSさん、ここからお互い言葉も少なくなりましたが、集中力を高めて走ります。

14kmでたかちゃんエイドに到着。 ここで給水。 ありがたいです。 しかしせっかくの給水を頭にかけてしまい、無駄に使ってしまいました。 申し訳ありません。

たかちゃんとヨネヨネ夫妻のほよさんの応援を受け、私の方は腰がきつく大変な状況でしたが、大いに元気づけらけました。

15kmまでまた緩やかに上りが始まります。 ここはいつも向かい風となりますが、幸い風はなかったです。 15kmで1:18'32"で通過。 ここで1時間50分を切れるのではと思い、少し気合いが入りました。

再び17kmまで坂が始まります。 ここでRAXSさんに先行されます。 粘りますが、なかなか差が縮まりません。 18km過ぎでやっと上りが終わり、最後の下りに入ります。 ここは相当スピードは上げることができますが、だめでした。 RAXSさんはどんどん先行します。 また1時間50分を切れることがわかったので守りの走りとなりました。
 
とうとうRAXSさんに追いつくことができず、ヘロヘロでフィニッシュしました。 1時間49分42秒でした。
フィニッシュ後も一礼もできず、歩くのも精一杯でした。
こんなにきついハーフは久し振りで、また忘れることができないレースの一つとなりました。

RAXSさんと共に50分を切ることができて本当に良かったです。 RAXSさんも嬉しいそうでした。これからもお互い頑張っていきたいです。

また大会スタッフの絶大なるサポート、所属の藤田会の皆さんの応援に感謝です。

<写真:Yさん提供 ありがとうございました>

RESULT
5km 25'53"
10km 51'38"(25'45")
15km 1:18'33"(27'55")
20km 1:43'53"(25'20")
F 1:49'42"(5'49")
103位
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2016年10月15日

京都観光マラニックC(最終回)

天使さんから約600m走った後、因幡薬師(平等寺)に到着しました。 

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その因幡薬師の由来は以下の通りです。
(以下の内容は因幡薬師のHPからの要約しました)
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平安時代、橘 行平(たちばなの ゆきひら)という人がいました。 天皇の命で因幡国(現鳥取県)に神事の為に行きました。そして帰る途中、急病になりました。神仏に祈り続けていると、僧が現れました。

「因幡国賀留津の海中に一つの浮き木がある。その浮き木は衆生済度(人々を救って悟りを得させるため)に遠くの仏の国からやってきた。あなたは速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。そうすれば必ず病気は治る。さらに一切のあらゆる願いが成就するだろう」

行平は正夢に違いないと思い、早速人々を集めて大網をもって海底を探らせたところ、お告げの通り一つの浮き木がありました。それは薬師如来の尊像でした。

行平は喜んでこれを信心しこれを供養する草堂をこの浦に建て薬師如来像を祀りました。

その後、行平の病気は平癒し、無事に京に帰る事が出来ました。ところが帰京した行平にまたある夜、また僧の夢を見ました。

「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。あなたには宿縁(前世からの因縁)があるから重ねて事を示す」

行平が夢から覚めると丁度、屋敷の西門に来客があると家人が呼びに来ました。

行平が「どなたですか」と問うと「因州の僧だ」と返答がありました。行平は驚いて西の門を開けさせたところ、あの薬師如来の尊像が立っておられたのです

さっそく行平は五尺余りの尊像を碁盤の上にのせて安置しました。行平は屋敷を改造してお堂を作り、このお堂を因幡堂と名付けたのです。

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この平安時代、京都では「東寺」と「西寺」の二つの寺のみを認め、私寺の建立を禁じたということです。 いわゆる桓武天皇の「私寺建立禁止令」です。 しかしこの場合は自分の屋敷を改造したということで大丈夫だったみたいです。(バレなかった??)

またこの因幡薬師(薬師如来)は日本三如来の一つです。 他の二つに長野の善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨釈迦堂(清涼寺)の釈迦如来です。

薬師如来ということで病気を治すというご利益があり、今は「がん封じ」としてお参りする方が多いそうです。

早速皆でお参りしました。

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ここの因幡薬師を出発し南から東へ向かい鴨川を渡ります。 そして豊臣秀吉が祭られている豊国神社へ向かいます。 豊国神社に続く通りは「正面通り」と呼ばれています。 何故「正面通り」なのか??? これは後ほどわかります。

豊国神社の前の「耳塚(鼻塚)」に到着です。 

この塚の由来はこうです。 天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸まで統一しようとした際、朝鮮半島に侵略したいわゆる文禄・慶長の役で朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ(首の代わり)、塩漬にして日本へ持ち帰りこの地に埋められたそうです。 何とも残酷な話で悲しくなりました。

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豊国神社に向かいます。 この通りは「正面通り」です。

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豊国神社。 ここはスルーしました。

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神社に隣接している方広寺に到着しました。 問題の鐘です。 いわゆる鐘銘事件「しょうめいじけん」。 

その事件とは。。豊臣秀頼が家康のすすめで方広寺大仏を再建した際,同じく鋳造した鐘の銘文中「国家安康」の字句が,家康の名を分割し身を切断することを意味し,徳川氏を呪詛(じゅそ)し,「君臣豊楽」の文字が豊臣家の繁栄を祈願していると非難し,大仏開眼を延期させました。これをきっかけに家康と秀頼が対峙することになり、大坂の陣が始り豊臣家が滅亡することになりました。

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「君臣豊楽」「国家安康」の字がくっきり見えます。 白く着色していなければ見えません。「君臣豊楽」が「国家安康」上に書かれていることも良くなかったかもしれません。 

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さて方広寺には大仏がある?(あった?)ということで少しだけ先に進みました。 さて前述の「正面通り」とは方広寺の大仏の正面につながる通りであることに由来します。

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かって大仏があった所(大仏殿)は草ぼうぼうでした。 観光客もいません。

かってここの大仏殿が文禄4年(1595)にほぼ完成。 高さ約19mの木製金漆塗坐像大仏が安置されました。 (奈良東大寺の大仏は約15mなのでそれよりも大きいです)

翌年の慶長元年(1596)に地震(慶長伏見地震)があり、開眼前の大仏は倒壊してしまいました。 その後、再建しようとしましたが、火災や落雷で焼失。 

その後、豊臣秀吉の不人気?ゆえに再建されなく、今に至っています。
近くの電柱には大仏という標識がありました。 ここに大仏があった証のひとつです。

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ここでマラニックでの観光は終わりました。 9キロ近く、2時間半のマラニックでした。 中身の濃く、充実したマラニックでした。 まりもさんに感謝です。 普段観光客が行かない場所を案内していただき、京都の別の側面を観ることができ勉強になりました。

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京都タワーに戻りタワーのお風呂に入り、近くのホテルでfrun20周年のパーティーに参加し楽しく過ごすことができました。 

マラニックからパーティーまで充実した半日でした。 参加のfrunの皆さん、お疲れ様でした。 ありがとうございました。

またこのブログを読んでいただいた皆さんありがとうございました。

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2016年10月13日

京都観光マラニック➂

本願寺伝道院から北上。 狭い道に入ります。 1km弱走ると案内人のまりもさんが「ここを見て下さい」と道端の街区(がいく)表示板まで案内してくれました。

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変わった地名です。 「天使突抜(てんしつきぬけ) 何だろ?」と思いましたが、まりもさんが由来について後ほど説明されるということで暫く走ると神社に到着しました。

ここは五條天神宮です。 

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天神様といえば菅原道真を祭っていると思ったのですが、実はそうではないそうです。 ここは弘法大師(空海)が開いた神社。 少彦名命(すくなひこなのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)を祭っているそうです。 写真では見えないですが、隣にマンションが建っていていて小さなお宮です。

この神社は地元では「天使さん」と呼ばれているそうです。 「天使さん」の由来は。。 「天使さん」はエンジェルを想像しますが、そうではなく下記の様なことだそうです。

この神社の祭神のお一人である「少彦名命」は「天子さん」と呼ばれていましたが、「天子」は天皇という意味なので京の人たちは天皇と同じ天子を呼ぶのは礼儀に反するということで天子を天使に変えたそうです。

そして「天使突抜」の由来は。。かってはこの「天使さん」の今と違って敷地は広かったそうですが、豊臣秀吉が京都に進出した時に都市改造の一つとして、この「天使さん」の南北にぶち抜いて道を通したそうです。

京の人たちは怒って???秀吉への皮肉を込めて「天使突抜」の地名をつけたそうです。 そういう訳で秀吉は京の人たちに人気がなかった様です。 私は秀吉に大阪、京都で人気があると思っていましたが、そうではなかったみたいですね。
また、この「天使さん」は牛若丸が弁慶と出会った場所らしいです。

この「天使さん」を出発し、すぐにまりもさんが路地で「ここを見て下さい」と案内がありました。

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古い様な新しい様な街区表示板です。 屋根の上にありました。 拡大すると

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字体が見ると古いことがわかりました。 「下京区」も右から書いているし、区も區と古い字体を使っています。
下に仁丹の文字が。。

これは森下仁丹が100年ほど前に販促すなわち宣伝を兼ねて全国に設置した表示板です。 しかし戦争によりほとんどが焼失してしまい、戦災がなかった京都に残っている貴重な表示板だそうです。
まりもさんのご近所でも良くみかけたそうです。

見た感じホーロー製に見えます。 大きな傷みもない様です。 この表示板は戦前のものと推測します。
歴史的に価値があると思いました。

もう時間切れになりました。 続きは明日。。まだまだマラニックは続きます。 明日が最終回としたいです。

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2016年10月12日

京都観光マラニックA

島原大門から東へ 約1km先の龍谷大学文学部(大谷キャンパス)へ向かいました。 その途中に西本願寺の大玄関門が見えました。

<皆で走っています>
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<西本願寺の大玄関門>
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龍谷大学到着しました。
<龍谷大学の正門>
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実は恥ずかしながら知らなかったのですが、龍谷大学の起源は西本願寺の学寮だそうです。(学寮とは僧侶が寄宿して勉強した所です) ちなみに東本願寺の学寮は大谷大学です。
私の実家は西本願寺の檀家です。 知らなかったです。。

門から入ると白亜の建物が目に飛び込んできました。 美しいです。 

まずは本館です。
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そして左側の南黌(なんこう)です。
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右側の北黌(ほっこう)です。
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洋風ですが、屋根は瓦で和風です。 窓の形もいいです。 和洋折衷の建物ですが、京の都にマッチしていると感じました。

続いてすぐ近くの西本願寺の唐門に到着です。 国宝です。 これは日光東照宮の陽明門を思わせる華麗な門です。
彫刻は見事です。 しばらく見とれていましいました。 伏見城の遺構と言われています。

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そして近くの西本願寺の御影堂門の前です。
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堀川通り横断して東に向かいます。 門前町の通りは仏具屋が多く、線香の香りがします。 そして目の前にドーム型の建物が見えてきました。

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その建物は本願寺伝道院です。 真宗信徒生命保険株式会社の社屋として明治45年に建築されたものです。 設計は東京帝国大学名誉教授の伊東忠太で有名な建築家です。 今は用途が変わり、僧侶の教化育成の道場として使用されています。

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建物の周りに石像が並んでいました。 これは何でしょうか?  他にも変なゾウもいました。
設計者の伊東忠太は妖怪好きということでこの様な不思議な石像が作られたと思います。

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マラニックは前半終了です。 まだまだ続きます。
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2016年10月11日

京都観光マラニック@

昨日、所属しているfrun20周年イベントとして「京都観光マラニック」に参加しました。 
主催者はまりもさんです。 まりもさんは「京都を走る まちなか編」の著者で京都についてお詳しい方です。 今回は有名な所を回るのではなく、あまり知られていない所を回りました。 私も初めて訪れる場所ばかりでした。 まりもさんのご説明を聞いて大変勉強になりました。 感謝です。 このことを忘れない様に備忘録としてブログに残します。

コースは以下の通りです。 距離は約8.8kmでした。
京都タワー→梅小路公園→島原→龍谷大学文学部→西本願寺→天使突抜通り(五条天神様)→平等寺(因幡薬師)→耳塚→豊国神社→方広寺→山内任天堂→京都タワー

メンバーは11人で京都タワーを13:20に出発しました。  
まずは梅小路公園ですが、ここは残念ながら人が多くパスしました。 鉄道博物館、水族館がありました。

<水族館横を走ります>
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京都市電も展示されていました。 京都市電は日本最初の一般営業用の電車です。 確か明治村にも同じ電車が走っていました。

<古い電車>
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<比較的新しい電車>
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続いて島原に入ります。 ここは幕府公認の遊郭(花街)の町です。

まずは角屋(すみや) 今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店です。 新選組の刀傷の跡や幕末の志士である久坂玄瑞の密議の場所という石碑がありました。 彼らはこの場所に出入りしたと思うと少しわくわくしました。

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そして輪違屋(わちがいや)。 今も営業している置屋(おきや)兼お茶屋です。芸姑さんを派遣する所です。
表を見ると「観覧謝絶」の小さい札があります。これは「一見さんおことわり」の意味です。 京都では良く聞く言葉ですが、お客さんのことを良く知ることにより最高のおもてなしができるということです。 決して意地悪な意味ではないことを知りました。

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そして島原の大門を抜けます。(続く)

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<追記>
何故「島原」と呼ぶかと少し気になっていたのですが、調べてみると東本願寺の北側から京の町の発展と共に当地に急に移転し騒動になったことがあたかも「九州の島原の乱」の直後であった為、「島原」と称されるようになったということです。

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2016年10月09日

あざいお市マラソン完走記

あざいお市マラソンを走り無事完走しました。 本格的なマラソンシーズンインの最初の大会で「frun」の新ユニフォームのデビューとなります。 そしてタイムは1:58'48"でした。 何とか2時間切れて良かったです。 合格点です。

最近の練習状況では何故かスピードはがた落ちで調子は最悪でしたが、良く2時間切れたと自分でも不思議です。
さすがに走った後はダメージは強いです。 今も脚が上がりません。。。。
明日はどうなるかは少し心配ですが、大丈夫と思います。

スタートは申告タイム順でほぼ最後尾です。 10:30にスタート。 スタートロスは3'29"。 そこから上りと混雑でペースが上がりませんでした。 それでも沿道の皆さんの応援に手を振りながら応えてキロ6分を超えつつ脚を前に進めます。これは確実に2時間を超えると思いました。

折り返し後下りに入ります。 ハーフの中間点は1:05'15"を通過。 ここでやっと脚が動く様になり、キロ5分前後で走ります。 残り6kmで2時間切りを確信。 向かい風と少し上りの道でも気持ちを切らさず走り切ることができました。 さすが最後は腰回りはきつかったです。 後半は53'33'でした。 後半は必死に追い込みしました。 余裕なく沿道の声援に応えることができなく申し訳なく思っています。

「あざいお市」の楽しみの一つとして、沿道に咲く秋桜の花ですが、今年はあまり元気がなかった感じです。

来週は鈴鹿山麓かもしかハーフマラソンです。 さらに厳しいコースとなりますが、頑張って走ります。

最後となりますが、大会関係者の皆さん、沿道の応援の皆さん、ありがとうございました。 参加の皆さんお疲れ様でした!!

RESULT
5km 33'34"
10km 1:02'15"(28'41")
15km 1:27'48"(25'33")
20km 1:53'26"(25'38")
F 1:58'48"(5'22")
1555位


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2016年10月04日

「frun京都おこしやすマラソン」ファイナル!!!

今年も微力ながら「frun京都おこしやすマラソン」のスタッフとして参加しました。

その「frun京都おこしやすマラソン」のコンセプトは。

「速く走る大会ではありません。走りたいと願う人はみんなランナー。無理して頑張ることより、まず走る喜びを分かち合おうと、ランナーが作るランナーのための大会」

原則、速く走るのはNGです。

そして今年がファイナル、最終回となりました。

前日より京都入り。 参加賞、ナンバーカードの袋入れ、テントの設営などしましたが、来年はこの作業がないと思いながら準備を進めました。 準備した後、前夜祭です。 各地のfrunのメンバーと楽しい夜を過ごすことがてきました。

さて大会当日。 天気は心配されましたが、雨はなく晴れました。 良かったです。 ただ少し蒸し暑く走るのは少し大変だったと思います。

早朝よりテントの最後の設営。 その後、最初の仕事として当日受け付けの案内をしました。 しかし当日受付の皆さんが例年以上に多く、整列の指示が曖昧で不快な思いをされた方もいたかもしれません。 申し訳なく思っています。
その中で「どうして今回が最後なの?」と何人の方に聞かれました。 続けたいという気持ちを抑えながら「スタッフの高齢化が進んでいるので今回で終わりです」と応えました。

そして最後の仕事。 ハーフの先導です。 先頭のランナーとの距離を調整しながらの自転車の走り。 また前方の歩いてる市民の皆さんへの注意喚起。 すれ違いの選手の応援しながら21.0975kmを自転車で94分余りを走りました。 雨上がりの砂地でハンドルをとられ転倒しそうになりましたが、最後の先導をコースを頭に刻みながら思い残すことはなく勤めました。
フィニッシュ後、トップのH選手から先導が良かったです。 労いの言葉をいただきました。 ありかどうございます。

その後、最後の選手の応援。 3時間40分余りで最終ランナーがフィニッシュ。 大会が無事に終えたことの安堵感とその後寂しい思いがふつふつと沸き上がりました。

今回スタッフとして参加したのは4回目となります。 最後となりましたが、貴重な経験をしました。

最後に大会参加の選手の皆さんお疲れ様でした。

<準備体操 スイカマン体操>
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<ワイワイクラブバンドの皆さん 大会を盛り上げてくれました>
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<私です。先頭選手は見えませんが、間もなく見えます。。RAXSさん写真提供>
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<20kmの表示です>
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<最後のフィニッシャー>
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<最後の計時です>
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