昨日から名古屋城まつりが開催され、普段公開されていない隅櫓(すみやぐら)が公開されるという情報を聞きつけ、行ってきました。
隅櫓は、江戸時代初期の築城時から残る国重要文化財で見張り台や食料・武器庫として使われたそうです。
公開された隅櫓は東南隅櫓、西南隅櫓、西北隅櫓の3箇所は地図は下記の通りです。(名古屋城ホームページから引用)
まずは(江戸時代は辰巳(たつみ)櫓呼ばれていた)から見学です。
外観はこんな感じです。2階建てに見えますが、中は3階建てです。
中はこんな感じです。 何もありませんが、柱と梁は時代を感じさせます。
棟瓦は菊紋が入っていました。 徳川家なので葵紋と思いましたが、天皇家の菊紋です。 明治時代に本丸付近に名古屋離宮という宮内庁管理の建物があったので屋根の修復の時に菊紋になったという説明がありました。
そして櫓からの天守閣の眺めです。 3つの櫓ではここからの眺めが良かったです。 手前に本丸御殿が見えます。
次は西南隅櫓(江戸時代は未申(ひつじさる)櫓呼ばれていた)です。
外観はこんな感じです。 ここで注目したいのは鬼瓦の紋です。 菊紋です。
櫓は明治後期から大正時代にかけて自然災害にて倒壊し、大正12年に宮内庁により修復されたのですが、菊紋の鬼瓦に変えたそうです。
ちなみに東南隅櫓は葵紋です。
中はこんな感じです。
そして櫓からの天守閣の眺めです。 木が邪魔になりいまいちです。
最後の櫓は西北隅櫓です。 ここは少し遠かったです。(暑かったので休み休みで移動しました)
この櫓は江戸時代は戌井(いぬい)櫓、清須櫓とも呼ばれていました。
外観はこんな感じです。 3つの櫓では最も大きい櫓で、江戸時代から現存する三階櫓は全国で14基では熊本城の宇土櫓に次ぎ、2番目に大きいそうです。
中はこんな感じです。 鍼が太いです。 当初は清須城の櫓を移築したと考えられたそうです。 しかし昭和37年の解体修理した時に複数の建物の古材を転用しているが、1618年以降の建築である為、清須城の櫓からの移築ではないことがわかったそうです。
櫓からの眺めです。 ここは熱田台地の北端となっており、少し高くなっています。 堀の向こうに見える森が名城公園です。
次は本丸御殿です。昨年も行きましたが、今回は全面公開ということで改めて見学しました。
まずは本丸御殿と天守閣の写真です。 天気も良く絶景です。
まずは黒木書院と湯殿書院に行きました。 ここは整理券がないと入れないので30分程待ちました。
黒木書院は清州城内にあった家康の宿舎を移築したと伝われています。 本丸御殿のほかの部屋は、総檜造りであったのに対し、この部屋には松が使われており、落ち着いた感じです。
そして湯殿書院です。 将軍専用の浴室です。 湯舟はなく、サウナ式の蒸し風呂です。
そして上洛殿に行きました。 昨年は公開されていなかったので初めてでした。 本当にきれいでした。
名古屋城見学は約3時間余り。 その後、名城公園に少し走った後、清須のビール工場近くでテニス仲間と飲み会でした。
ムチャ暑かったですが、暑さより好奇心が勝って名古屋城の各所を見学しました。 名古屋に関して見聞を広めることができ、充実した一日でした。
<昨日の練習内容>
名城公園ラン5.2km
<8月の走行距離>
28.1km
<年間走行距離>
3,135.9km
<連続走行日数>
1,476日
2018年08月05日
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