2018年10月13日

「大坂・上町台地を走る!」A

楠木大神(くすのきおおかみ)から谷町7丁目交差点を西に抜けます。 

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そして南下して高津宮(こうづぐう)に到着しました。

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 高津宮の入口の坂を上ります。 この坂は縁切り坂と呼ばれています。 昔は三曲り半になっていたため、「三行半・三下り半」と掛けて「縁切り坂」と呼ばれたそうです。 悪縁を絶ってくれる坂として有名らしいです。

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高津宮は仁徳天皇を祀った由緒ある神社ですが、上方落語の「高津の富」という富くじの話で有名で落語の舞台になっている神社です。上方落語と縁の深い神社です。
ということで5代目桂文枝の碑が立てられていました。(今の桂文枝さんは6代目) ここでは今でも落語会が行われているそうです

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少し奥まった所に梛(なぎ)の苗木が植えられていました。 木札の内容とと事前学習から由来を私なりに書いてみました。
「ここに5代目の桂文枝が創作落語(熊野詣)。 梛の葉に熊野権現のありがたいお告げがあらわれるお話です。
一方和歌山県新宮市の熊野速玉大社に樹齢千年の梛の大木があり、熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。高津宮は熊野街道は九十九王子(くじゅうくおうじ、王子とは参詣途上で儀礼を行う場所)の三番目の郡戸王子(こうとおうじ)があったらしく5代目の桂文枝の最後の口演がここ高津宮での(高津の富)です」
という縁でここに熊野速玉大社の梛の苗木が記念植樹されたそうです。

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高津宮を後にし、次に真言坂がありました。いよいよここから「天王寺七坂」が始まります。天王寺七坂の地図です。 ケイタローさんが準備されました。

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ここは真言宗の寺院が十坊があったといことで真言坂と呼ばれています。 今はマンションで面影はありません。

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真言坂を上ったら「生國魂神社(いくたまじんじゃ)」。「いくたまさん」、「生玉さん」で親しまれています。

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神武東征の際に創建されたと社伝にあります。実際は、孝徳天皇の時に難波宮ができる前にはあったと考えられています。そして、祭神が生島神(いくしまのかみ)と足島神(たるしまのかみ)。この2人の神様は、国の神霊とされ、新天皇の即位儀礼の1つである難波で行われる八十島祭(やそしままつり・今はやってません)の際にも主神に祀られていました。宮中の祭祀と深い関わりを持つ、大阪を代表する神社です。(事前学習より)

境内の中では2つの像がありました。
織田作之助です。小説家で「夫婦善哉」で有名です。

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井原西鶴です。浮世草子、人形浄瑠璃作者、俳諧師で有名です。当地で万句俳諧を興行したということです。 

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像の近くには猫もいました。 あまり可愛くないです。 大阪は猫多い印象です。 マラニック中にたくさんの猫さんと出会いました。 タイガースファンが多い大阪人は猫を大切にしているかもしれません。

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境内は広く、立派な拝殿がありました。

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これからも続きます。

posted by あっきー at 11:12| Comment(0) | マラニック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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