今日は京都です。 二条城と泉涌寺に行ってきました。 ずっと行きたいと思っていましたが、念願が叶いました。
明日はいよいよ大会です。 今日少し歩きすぎましたが、明日は完走目指します。
<本日の走行距離>
朝ラン2.1km
<12月の走行距離>
89.2km
<年間走行距離>
年間走行距離 2,743.9km
<連続走行日数>
2,701日
2021年12月11日
2020年11月02日
九州3日目 最終日 再会
2020年11月01日
九州2日目
2020年10月31日
九州1日目
九州1日目。フェリーで神戸から大分へ移動。そのまま車で北九州市へ。
その後、若松の高塔山公園へ。ここは走れそうです。
高塔山公園に到着。高塔山公園も初めてです。見晴らしが良く、景色は最高です。
公園内をスタート。最初は公園内を走るつもりでしたが、暫く走ると石峰山への案内板が出ていて距離も3km位なので大丈夫と思い、石峰山に向かいました。
最初はロードでしたが、半分過ぎた頃からトレイルとなり、最後はきつい山道となりました。なかなかいいコースです。北九州市もこの様な自然があることは知らなかったです。新たな発見でした。
北九州市を訪れた目的の1つは戸畑の鞘ヶ谷陸上競技場で走ることです。鞘ヶ谷陸上競技場は君原さんが練習された場所で私にとって聖地です。初めて訪れました。
鞘ヶ谷陸上競技場に到着。さて走ろうと思いましたが、学生さんが集まっていたので邪魔になると思い、断念しました。
せっかく来たので見学しました。できて80年。歴史ある競技場です。
次回は必ず走ります。
その後、若松の高塔山公園へ。ここは走れそうです。
高塔山公園に到着。高塔山公園も初めてです。見晴らしが良く、景色は最高です。
公園内をスタート。最初は公園内を走るつもりでしたが、暫く走ると石峰山への案内板が出ていて距離も3km位なので大丈夫と思い、石峰山に向かいました。
最初はロードでしたが、半分過ぎた頃からトレイルとなり、最後はきつい山道となりました。なかなかいいコースです。北九州市もこの様な自然があることは知らなかったです。新たな発見でした。
夜は後輩のお店で行きました。北九州市訪問の最大の目的を果たすことができました。
お料理もワインを堪能しました。
至福の1日でした。
2020年10月30日
明日から九州です
明日から九州です。先週急遽決まりました。
車で神戸からフェリーにて九州に入ります。
約8ヶ月振りとなります。
明日は故郷の北九州市観光です。
楽しみです。
<本日の走行距離>
朝ラン2.1km
<10月の走行距離>
309.6km
<瀬戸大橋を通過しました>
2020年09月22日
還暦旅行 その2
昨日と本日の伊勢神宮、志摩のホテルと、鳥羽水族館に家族で行ってきました。 私の還暦祝いの旅行でした。
志摩のホテルは県の割引制度を使った様です。(今回は私は企画に参加せず、運転に徹しました)
リゾートホテルで料理も美味しかったです。
昨晩の夕食時にサプライズで家族から色紙をいただきました。 ありがたいです。 いつまでも大切にします。
最後の写真は今日行った鳥羽水族館のジュゴンです。 可愛いです。
思い出残る旅行となりました。
<本日の走行距離>
朝練ジョグ3.0km(志摩ホテル周辺)
<9月の走行距離>
190.8km
<年間走行距離>
2,484.0km
<連続走行日数>
2,256日(2014/7/21〜)
志摩のホテルは県の割引制度を使った様です。(今回は私は企画に参加せず、運転に徹しました)
リゾートホテルで料理も美味しかったです。
昨晩の夕食時にサプライズで家族から色紙をいただきました。 ありがたいです。 いつまでも大切にします。
最後の写真は今日行った鳥羽水族館のジュゴンです。 可愛いです。
思い出残る旅行となりました。
<本日の走行距離>
朝練ジョグ3.0km(志摩ホテル周辺)
<9月の走行距離>
190.8km
<年間走行距離>
2,484.0km
<連続走行日数>
2,256日(2014/7/21〜)
2020年03月26日
東京散策➂(最終回)(東京都北区赤羽編)
東京散策➂ 最終回です。 東京都北区赤羽編です。 午後日本橋から移動し、赤羽に移動しました。
本当はこの地で板橋Cityマラソンを走る予定でした。
大会が中止となりましたが、毎年訪れていましたのでどういう街であるかと知りたくなり、ゆっくり散策することにしました。
散策コースは東京都北区観光協会のモデルコース(赤羽・志茂エリア)を参考にしました。
まずは赤羽駅から歩き宝幢院(ほうどういん)@に到着しました。 本堂の前には古い石塔がありました。 これは庚申塔(こうしんとう)と呼ばれ、ここに阿弥陀如来立像と2猿が描かれていたいました。寛永16年ということで1639年と今から381年前のもの。 北区では最古のものです。
そこから荒川に向かって歩きます。 途中八雲神社➂に立ち寄りました。 そんなに大きくない神社ですが、私が観ている間、地元の方は3人続けて参拝されていました。 地元に愛されている神社と思いました。
境内の中に古い祠がありました。 水神社です。寛政12年と書かれていました。 1850年です。水神社は舟運業者の信仰を集めた神社らしいです。
また蔵には勝海舟の自筆の大旗が保管されている様です。
また境内に建つ「岩淵町名存続之碑」がありました。「住居表示に関する法律」により、 全国的に由緒ある地名が消えていく中、 町民の方々の地道な存続運動を続けてきた結果、 存続することになったことを記念して建設されたということです。
神社の前は宿場町の雰囲気が残っていました。 もともと岩淵は日光御成街道の宿場町だったそうです。
そして土手を上って旧岩淵水門(赤水門)Eに到着。 今は使われていません。 赤く塗られており近くで観ると迫力があります。
そして次に岩淵水門(青水門)へ 板橋Cityマラソンはこの青水門の上を走ります。
ここで川が分かれていました。 隅田川と荒川放水路です。 下流の隅田川が洪水の危険性が高く、明治44年〜昭和5年に放水路は新しく作られたということです。 今回初めて知りました。
板橋Cityマラソンはこの荒川放水路沿いを走ります。
その岩淵水門は昨年の台風19号の時に隅田川が氾濫するのを防ぐ為に閉められたそうです。 災害を未然に防いだと何とも頼もしい水門です。
来年の板橋Cityマラソンでこの水門の上を走る時に敬意を持って走りたいと思います。
夕刻、赤羽駅に戻りラン仲間と打上げをしました。 板橋Cityマラソンの打上げです。 マラソン大会は中止となりましたが、楽しく飲むことができました。
今回はお墓参りに始まり東京を散策した結果、いろいろと発見できて楽しかったです。 来年は板橋Cityマラソン無事開催されることを願うばかりです。
本当はこの地で板橋Cityマラソンを走る予定でした。
大会が中止となりましたが、毎年訪れていましたのでどういう街であるかと知りたくなり、ゆっくり散策することにしました。
散策コースは東京都北区観光協会のモデルコース(赤羽・志茂エリア)を参考にしました。
まずは赤羽駅から歩き宝幢院(ほうどういん)@に到着しました。 本堂の前には古い石塔がありました。 これは庚申塔(こうしんとう)と呼ばれ、ここに阿弥陀如来立像と2猿が描かれていたいました。寛永16年ということで1639年と今から381年前のもの。 北区では最古のものです。
そこから荒川に向かって歩きます。 途中八雲神社➂に立ち寄りました。 そんなに大きくない神社ですが、私が観ている間、地元の方は3人続けて参拝されていました。 地元に愛されている神社と思いました。
境内の中に古い祠がありました。 水神社です。寛政12年と書かれていました。 1850年です。水神社は舟運業者の信仰を集めた神社らしいです。
また蔵には勝海舟の自筆の大旗が保管されている様です。
また境内に建つ「岩淵町名存続之碑」がありました。「住居表示に関する法律」により、 全国的に由緒ある地名が消えていく中、 町民の方々の地道な存続運動を続けてきた結果、 存続することになったことを記念して建設されたということです。
神社の前は宿場町の雰囲気が残っていました。 もともと岩淵は日光御成街道の宿場町だったそうです。
そして土手を上って旧岩淵水門(赤水門)Eに到着。 今は使われていません。 赤く塗られており近くで観ると迫力があります。
そして次に岩淵水門(青水門)へ 板橋Cityマラソンはこの青水門の上を走ります。
ここで川が分かれていました。 隅田川と荒川放水路です。 下流の隅田川が洪水の危険性が高く、明治44年〜昭和5年に放水路は新しく作られたということです。 今回初めて知りました。
板橋Cityマラソンはこの荒川放水路沿いを走ります。
その岩淵水門は昨年の台風19号の時に隅田川が氾濫するのを防ぐ為に閉められたそうです。 災害を未然に防いだと何とも頼もしい水門です。
来年の板橋Cityマラソンでこの水門の上を走る時に敬意を持って走りたいと思います。
夕刻、赤羽駅に戻りラン仲間と打上げをしました。 板橋Cityマラソンの打上げです。 マラソン大会は中止となりましたが、楽しく飲むことができました。
今回はお墓参りに始まり東京を散策した結果、いろいろと発見できて楽しかったです。 来年は板橋Cityマラソン無事開催されることを願うばかりです。
2020年03月22日
東京散策A(日本橋)
ホテルチェック後、地下鉄で日本橋に行きました。 日本橋は初めてです。
まずは日本橋の観光案内所に行きました。 案内所の方から「街歩きのマップ、グルメのマップ、どちらが欲しいですか?」と聞かれ、「街歩きのマップでお願いします」と答えて「街歩きのマップ」をいただきました。
そのマップに今回歩いたルートを書きました。
日本橋です。
麒麟の像です。よくTVドラマで見かけます。
そして獅子の像。 獅子が持っているのは東京都の紋章です。
ここは国道(7本)の起点である日本国道路元標があるということで探しましたが、何と橋の真ん中(センターライン)にありました。
横断禁止の標識がないことを確認し、信号の切れ間を縫って橋の真ん中に小走りで行き、写真撮影しました。
これを書いたのは佐藤栄作氏だそうです。
国道1号線がここから始まります。 私の自宅の前も国道1号線が通っています。 この日本橋から通じているだんな思いました。
その後、日本橋三越本店へ行きました。 最初は入るつもりはなかったのですが、入ったら中央ホールで巨大な天女像を観ました。 この天女像は圧巻でした。1960年作、私と同じ歳です。
ぼーっと見とれていると受付の女性の店員さんからパンフレットといだたきました。
私は「写真を撮っていいですか?」 店員さんから「是非撮って下さいね」「3階からの背中の眺めもいいですよ」と勧められて3階に行きました。 3階まで上がって見ました。 緻密で色彩も良くて素晴らしかったです。 本当に親切な店員さんでした。
三越を出て日本銀行へゆっくり歩きました。 この建物も立派です。
そして日本銀行の裏側を歩きます。
途中、十軒店跡、長崎屋跡を見ながら少し離れた伝馬町牢屋敷跡に向かいました。
<牢屋敷があった刑場跡はお寺になっていました>
<延命地蔵尊、処刑された人たちを供養するため建立されたそうです>
ここは吉田松陰先生の終焉の地でもあります。
皇居ランで行った屋敷の主である井伊直弼によって行われた「安政の大獄」で処刑されました。辞世の碑がありました。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
この碑が置かれている伝馬町牢屋敷跡は今は十思公園になっていて親子連れの人たちが遊んでいて賑やかでした。 隔世の感を覚えました。
その後再び三越に戻りパイプオルガンの演奏を聞いて三越の前に三重のアンテナショップ「三重テラス」に行きました。 店内に入ると人が多く繁盛していました。
日本橋もいろいろと発見がありました。 まだ見たい所がありましたが、時間切れで日本橋を後にしました。
(続く)
<昨日の走行距離>
ダム練12.3km
<3月の走行距離>
233.6km
<年間走行距離>
916.2km
<連続走行日数>
2,071日(2014/7/20〜)
まずは日本橋の観光案内所に行きました。 案内所の方から「街歩きのマップ、グルメのマップ、どちらが欲しいですか?」と聞かれ、「街歩きのマップでお願いします」と答えて「街歩きのマップ」をいただきました。
そのマップに今回歩いたルートを書きました。
日本橋です。
麒麟の像です。よくTVドラマで見かけます。
そして獅子の像。 獅子が持っているのは東京都の紋章です。
ここは国道(7本)の起点である日本国道路元標があるということで探しましたが、何と橋の真ん中(センターライン)にありました。
横断禁止の標識がないことを確認し、信号の切れ間を縫って橋の真ん中に小走りで行き、写真撮影しました。
これを書いたのは佐藤栄作氏だそうです。
国道1号線がここから始まります。 私の自宅の前も国道1号線が通っています。 この日本橋から通じているだんな思いました。
その後、日本橋三越本店へ行きました。 最初は入るつもりはなかったのですが、入ったら中央ホールで巨大な天女像を観ました。 この天女像は圧巻でした。1960年作、私と同じ歳です。
ぼーっと見とれていると受付の女性の店員さんからパンフレットといだたきました。
私は「写真を撮っていいですか?」 店員さんから「是非撮って下さいね」「3階からの背中の眺めもいいですよ」と勧められて3階に行きました。 3階まで上がって見ました。 緻密で色彩も良くて素晴らしかったです。 本当に親切な店員さんでした。
三越を出て日本銀行へゆっくり歩きました。 この建物も立派です。
そして日本銀行の裏側を歩きます。
途中、十軒店跡、長崎屋跡を見ながら少し離れた伝馬町牢屋敷跡に向かいました。
<牢屋敷があった刑場跡はお寺になっていました>
<延命地蔵尊、処刑された人たちを供養するため建立されたそうです>
ここは吉田松陰先生の終焉の地でもあります。
皇居ランで行った屋敷の主である井伊直弼によって行われた「安政の大獄」で処刑されました。辞世の碑がありました。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
この碑が置かれている伝馬町牢屋敷跡は今は十思公園になっていて親子連れの人たちが遊んでいて賑やかでした。 隔世の感を覚えました。
その後再び三越に戻りパイプオルガンの演奏を聞いて三越の前に三重のアンテナショップ「三重テラス」に行きました。 店内に入ると人が多く繁盛していました。
日本橋もいろいろと発見がありました。 まだ見たい所がありましたが、時間切れで日本橋を後にしました。
(続く)
<昨日の走行距離>
ダム練12.3km
<3月の走行距離>
233.6km
<年間走行距離>
916.2km
<連続走行日数>
2,071日(2014/7/20〜)
2020年03月21日
東京散策@(皇居ラン)
翌朝(3月15日)は前日の天気の違ってすっきり晴れていました。
前夜できなかった皇居ランを実行しました。 早速6時過ぎに神田のホテルから皇居に向かって走りに行きました。
今回を走ったコースです。
やがて竹橋に到着しました。 そこから皇居周回コースに入りました。 早朝にもかかわらずランナーは多かったです。
普段はそのまま皇居の周回を1周するのですが、今回はいろいろと寄り道しようと思い、途中北桔橋門前から北の丸公園に入りました。
ほどなく多くの人達がラジオ体操をしていました。 ラジオ体操の会の様です。
コースは塞がれていたのでランは一休みして、一緒にラジオ体操(第二体操の途中から)をしていました。 ラジオ体操後、ランを再開。 ほどなく日本武道館に着きました。 日本武道館は初めて見ました。 改装工事中でした。
そして田安門を出て千鳥ヶ淵公園へ。 桜の名所でしたが、さすが桜は咲いていませんでしたが、木蓮は咲いていました。
千鳥ヶ淵公園を走っていたら半蔵門近くで荘川桜を発見しました。 さくら道にある岐阜県の荘川桜の二世桜だそうです。 ひょっとしたら佐藤良二さんが贈った桜かもしれません。
今度是非満開の時に見てみたいです。
半蔵門よりイギリス大使館の前を走りました。 大使館はいい感じの建物です。
そして国立劇場へ ここは桜が咲いていました。 青空に映えていてきれいでした。
その後、国会議事堂に向かいます。 議事堂に向かう前に小高い丘がありました。 何かあるかなと思い、走って上っていくと大きな広場がありました。 もともとここは彦根藩の井伊家の屋敷がありました。 その前は肥後藩の加藤清正の屋敷だったそうです。
ここから桜田門が近く、今から140年前に井伊直弼がこの屋敷から出て桜田門で暗殺されたんだと景色を見ながら想像しました。(桜田門外の変)
またここで日本水準原点標庫なるものを見つけました。 この建物の中に日本水準原点があり日本の標高の基準だそうです。 ここは標高は24.3900mだそうです。 建物には「水準原点」と書かれていました。 いい感じの建物です。
その後、国会に向かいます。 国会は高校の修学旅行以来です。 国会から総理大臣官邸を観ながら国会を1周します。 警察の方が多く立っていたので恐る恐る写真を撮りながら走りました。
その後皇居周回に戻り桜田門へ下っていきます。
そして竹橋経由で神田のホテルに戻りました。
「おのぼりさん」の皇居ランでしたが、いろいろと発見があり面白く楽しかったです。(続く)
前夜できなかった皇居ランを実行しました。 早速6時過ぎに神田のホテルから皇居に向かって走りに行きました。
今回を走ったコースです。
やがて竹橋に到着しました。 そこから皇居周回コースに入りました。 早朝にもかかわらずランナーは多かったです。
普段はそのまま皇居の周回を1周するのですが、今回はいろいろと寄り道しようと思い、途中北桔橋門前から北の丸公園に入りました。
ほどなく多くの人達がラジオ体操をしていました。 ラジオ体操の会の様です。
コースは塞がれていたのでランは一休みして、一緒にラジオ体操(第二体操の途中から)をしていました。 ラジオ体操後、ランを再開。 ほどなく日本武道館に着きました。 日本武道館は初めて見ました。 改装工事中でした。
そして田安門を出て千鳥ヶ淵公園へ。 桜の名所でしたが、さすが桜は咲いていませんでしたが、木蓮は咲いていました。
千鳥ヶ淵公園を走っていたら半蔵門近くで荘川桜を発見しました。 さくら道にある岐阜県の荘川桜の二世桜だそうです。 ひょっとしたら佐藤良二さんが贈った桜かもしれません。
今度是非満開の時に見てみたいです。
半蔵門よりイギリス大使館の前を走りました。 大使館はいい感じの建物です。
そして国立劇場へ ここは桜が咲いていました。 青空に映えていてきれいでした。
その後、国会議事堂に向かいます。 議事堂に向かう前に小高い丘がありました。 何かあるかなと思い、走って上っていくと大きな広場がありました。 もともとここは彦根藩の井伊家の屋敷がありました。 その前は肥後藩の加藤清正の屋敷だったそうです。
ここから桜田門が近く、今から140年前に井伊直弼がこの屋敷から出て桜田門で暗殺されたんだと景色を見ながら想像しました。(桜田門外の変)
またここで日本水準原点標庫なるものを見つけました。 この建物の中に日本水準原点があり日本の標高の基準だそうです。 ここは標高は24.3900mだそうです。 建物には「水準原点」と書かれていました。 いい感じの建物です。
その後、国会に向かいます。 国会は高校の修学旅行以来です。 国会から総理大臣官邸を観ながら国会を1周します。 警察の方が多く立っていたので恐る恐る写真を撮りながら走りました。
その後皇居周回に戻り桜田門へ下っていきます。
そして竹橋経由で神田のホテルに戻りました。
「おのぼりさん」の皇居ランでしたが、いろいろと発見があり面白く楽しかったです。(続く)
2020年03月20日
東京墓参
先週の土曜日に東京へ墓参に行ってきました。 大学時代の恩師のお墓参りです。 場所は青山霊園です。
<青山霊園 雨の中、桜が少しだけ咲いていました>
この墓参は2015年から毎年続けていまして今年で6回目です。 大学時代に恩師から技術者として人として多くのことを学びました。 恩師に出会えていなかったら全く別の人生を歩んでいたと思います。
毎年、墓前にて1年間の報告をしています。今回は今年還暦を迎えること、会社名が変わったこと、仕事が変わったこと等を報告しました。
この日はあいにくの雨で寒かったです。 お花屋で買ったお線香に火がつくどうか心配でしたが、何とかつきました。 そして墓前にて1年の報告をしました。
大学を卒業して35年、恩師が亡くなられて15年となりますが、今後も墓参は続けていきます。
お墓参りした後、東京のラン友さんをお誘いして銀座にて書道家でウルトラランナーである波多の明翠さんの個展に行ってきました。 波多の明翠さんの作品はいつも暖かさを感じます。 波多の明翠さんといろいろお話ができました。
その後、同じ銀座でランチです。 ニューキャッスルのカレー店です。 少し辛めで美味しかったです。 1946年創業ですが、店主の方が若かったです。 後で調べたのですが、この店主の方は3代目で、このお店の常連客だったそうです。
そして歩いて築地に向かいました。 外は寒くみぞれが降っていました。 ラン友さんお薦めのワインバー「酒美土場(シュビドゥバ)」に行きました。 ワインの角打ちの様なお店です。 外は寒かったのですが、まずはホットワインをいただき、身体を暖めました。
その後「オレンジワイン」をいただきました。 「オレンジワイン」は最初オレンジが入っていると思いましたが、色がオレンジだけで、白ブドウを使って赤ワインの製法でつくられたワインということです。 もう少し詳しく言うと白ワインは白ぶどうの果皮を取り除いて醸成するのてすが、オレンジワインは白ぶどうの果皮を取り除かず一緒に醸成するワインです。 お店の方からいろいろと教えていただきました。 基本的に白ワインですが、タンニンの味がしましたが、一言では言えな深い味わいでした。 美味しかったです。
お土産として1本購入しました。
お店を出た後、寒いのでバスで東京駅へ戻り、宿泊先の神田へホテルにチェックインしました。
夜皇居を走ろうと思いましたが、寒くて断念しました。 翌日は東京散策です。(続く)
<昨日の走行距離>
昼休みラン2.9km/夜ラン10km/計12.9km
<3月の走行距離>
209.6km
<年間走行距離>
892.2km
<連続走行日数>
2,069日(2014/7/20〜)
<青山霊園 雨の中、桜が少しだけ咲いていました>
この墓参は2015年から毎年続けていまして今年で6回目です。 大学時代に恩師から技術者として人として多くのことを学びました。 恩師に出会えていなかったら全く別の人生を歩んでいたと思います。
毎年、墓前にて1年間の報告をしています。今回は今年還暦を迎えること、会社名が変わったこと、仕事が変わったこと等を報告しました。
この日はあいにくの雨で寒かったです。 お花屋で買ったお線香に火がつくどうか心配でしたが、何とかつきました。 そして墓前にて1年の報告をしました。
大学を卒業して35年、恩師が亡くなられて15年となりますが、今後も墓参は続けていきます。
お墓参りした後、東京のラン友さんをお誘いして銀座にて書道家でウルトラランナーである波多の明翠さんの個展に行ってきました。 波多の明翠さんの作品はいつも暖かさを感じます。 波多の明翠さんといろいろお話ができました。
その後、同じ銀座でランチです。 ニューキャッスルのカレー店です。 少し辛めで美味しかったです。 1946年創業ですが、店主の方が若かったです。 後で調べたのですが、この店主の方は3代目で、このお店の常連客だったそうです。
そして歩いて築地に向かいました。 外は寒くみぞれが降っていました。 ラン友さんお薦めのワインバー「酒美土場(シュビドゥバ)」に行きました。 ワインの角打ちの様なお店です。 外は寒かったのですが、まずはホットワインをいただき、身体を暖めました。
その後「オレンジワイン」をいただきました。 「オレンジワイン」は最初オレンジが入っていると思いましたが、色がオレンジだけで、白ブドウを使って赤ワインの製法でつくられたワインということです。 もう少し詳しく言うと白ワインは白ぶどうの果皮を取り除いて醸成するのてすが、オレンジワインは白ぶどうの果皮を取り除かず一緒に醸成するワインです。 お店の方からいろいろと教えていただきました。 基本的に白ワインですが、タンニンの味がしましたが、一言では言えな深い味わいでした。 美味しかったです。
お土産として1本購入しました。
お店を出た後、寒いのでバスで東京駅へ戻り、宿泊先の神田へホテルにチェックインしました。
夜皇居を走ろうと思いましたが、寒くて断念しました。 翌日は東京散策です。(続く)
<昨日の走行距離>
昼休みラン2.9km/夜ラン10km/計12.9km
<3月の走行距離>
209.6km
<年間走行距離>
892.2km
<連続走行日数>
2,069日(2014/7/20〜)
2019年05月01日
長崎旅行無事終わりました
長崎旅行も無事終わり大分に帰宅しました。今日は長崎市内観光でグラバー園、浦上天主堂、平和公園でした。
天気は幸いにも雨に降られませんでした。
旅行中は妻とお義母さんが楽しいそうで良かったです。
私も楽しみながらいろいろと知ることができました。
<本日の走行距離>
早朝ラン3.3km
<5月の走行距離3.3km
<年間走行距離>
1,523.8km
<連続走行日数>
1,746日(2014/7/19〜)
られませんでした。旅行中は妻とお義母さんが楽しいそうで良かったです。
私も楽しみなかをらいろいろと知ることができました。
<本日の走行距離>
早朝ラン3.3km
<5月の走行距離3.3km
<年間走行距離>
1,523.8km
<連続走行日数>
1,746日(2014/7/19〜)
2019年04月30日
九州2日目
九州2日目です。長崎旅行です。天気は時より雨でしたが、観光には支障はありませんでした。
今日は佐世保の九十九島パールシーリゾートに行きました。まずは九十九島の遊覧船で回り、水族館へ行きました。くらげに癒されました。
そして展望台にて九十九島を眺めました。
天気が良ければ夕日がきれいなのですが、それでも素晴らしい眺めでした。
明日は長崎市内の観光予定です。令和を佐世保で迎えます。
<本日の走行距離>
早朝ラン8.7km
<4月の走行距離>
325.3km
<年間走行距離>
1,520.5km
<連続走行日数>
1,745日(2014/7/19〜)
2019年02月03日
牡蠣小屋ツアー
昨日は妻と二人で鳥羽の答志島の牡蠣小屋ツアーに行ってきました。
実は昨年も計画していて鳥羽まで行ったのですが、強風の為、船は欠航。 島に渡れず断念しました。
今年は昨年のこともあり、何としてでも行きたいということで、お互い体調管理をしっかりして、特にインフルエンザに感染しない様に気をつけました。
問題の天気ですが、前日の金曜日は風が強く、島に渡る船も欠航していた様ですが、昨日は天気も良く、船も通常通りに運航していました。
ツアーを申し込むに当たり、せっかく鳥羽まで行くので乗ってみたかった近鉄観光特急「しまかぜ」を希望した結果、幸運にも行き帰りとも「しまかぜ」が予約できました。
四日市駅を11時前に出発。 「しまかぜ」がきました。 乗ったらすぐにアテンダントの方が座席まで来てくれて記念乗車券を渡してくれました。
車内はこんな感じです。 シートは快適でした。
鳥羽までジャスト1時間で到着して港まで歩き船で答志島に向かいます。
答志島に到着し牡蠣小屋へ。 ビールを飲みながら牡蠣をいただきます。
牡蠣は「桃こまち」というブランド牡蠣ということで身も大きくとても味が濃厚で美味しかったです。
お店の人がどんどんお皿に入れて持ってくるので際限なく食べました。 満腹になってもとても美味しいのでまだ食べたい欲求にかられます。
1時間ほど食べた後、島を少し歩きました。
帰りもしまかぜに乗りました。 カフェ席でアイスクリームをいだたきました。
プチ贅沢な日帰りツアーでしたが、毎年の恒例行事になりそうです。
<昨日の走行距離>
ご近所ラン6.0km
<2月の走行距離>
23.0km
<年間走行距離>
486.3km
<連続走行日数>
1,657日(2014/7/19〜)
実は昨年も計画していて鳥羽まで行ったのですが、強風の為、船は欠航。 島に渡れず断念しました。
今年は昨年のこともあり、何としてでも行きたいということで、お互い体調管理をしっかりして、特にインフルエンザに感染しない様に気をつけました。
問題の天気ですが、前日の金曜日は風が強く、島に渡る船も欠航していた様ですが、昨日は天気も良く、船も通常通りに運航していました。
ツアーを申し込むに当たり、せっかく鳥羽まで行くので乗ってみたかった近鉄観光特急「しまかぜ」を希望した結果、幸運にも行き帰りとも「しまかぜ」が予約できました。
四日市駅を11時前に出発。 「しまかぜ」がきました。 乗ったらすぐにアテンダントの方が座席まで来てくれて記念乗車券を渡してくれました。
車内はこんな感じです。 シートは快適でした。
鳥羽までジャスト1時間で到着して港まで歩き船で答志島に向かいます。
答志島に到着し牡蠣小屋へ。 ビールを飲みながら牡蠣をいただきます。
牡蠣は「桃こまち」というブランド牡蠣ということで身も大きくとても味が濃厚で美味しかったです。
お店の人がどんどんお皿に入れて持ってくるので際限なく食べました。 満腹になってもとても美味しいのでまだ食べたい欲求にかられます。
1時間ほど食べた後、島を少し歩きました。
帰りもしまかぜに乗りました。 カフェ席でアイスクリームをいだたきました。
プチ贅沢な日帰りツアーでしたが、毎年の恒例行事になりそうです。
<昨日の走行距離>
ご近所ラン6.0km
<2月の走行距離>
23.0km
<年間走行距離>
486.3km
<連続走行日数>
1,657日(2014/7/19〜)
2018年03月21日
牡蠣食べ放題はずが。。
今日は「牡蠣食べ放題ツアー」で鳥羽市の答志島に妻と二人で行く予定でした。
妻から以前から近鉄特急の「伊勢志摩ライナー」に乗ってみたい!!!と聞いていたので、2月に伊勢志摩ライナー希望で答志島の「牡蠣食べ放題ツアー」を申し込みしました。
昨日からビールを買い込んで準備。 そして今日を迎えました。 あいにくの雨だったので念のため鳥羽港から答志島への定期船を確認したら運航していることで出発。
近鉄四日市駅で特急を待っていると、電車が来ました。 あれれ。。白い電車です。 「伊勢志摩ライナー」ではなく、「アーバンライナー」でした。アーバンライナーは伊勢志摩ライナーより古いのでいまいちなのです。
急遽、車両変更があった様で、がっかり。。車内でお詫びのアナウンスが流れていました。
それでも鳥羽駅まで行きましたが、車中で再度、鳥羽から答志島に向かう定期船の状況をネットで確認したら、鳥羽から答志島への船は運航していましたが、答志島から鳥羽への船は欠航という情報が。。
島に渡って牡蠣を食べたら、帰ってこれないことがわかりました。
とりあえず鳥羽まで行き、港まで行ったらやっぱり欠航ということでがっかり。。鳥羽市は風雨が強く欠航止む無しという感じでした。
ここまで来たら何としても牡蠣を食べるということで駅の近くに牡蠣を食べさせてくれる店を探した結果、貝専門店があったので牡蠣、伊勢うどん、ビールを注文し二人でランチ。 牡蠣食べ放題はずでしたが、何とか牡蠣を食べることができました。 この牡蠣はぷりぷりで美味しかったです。
母娘でやっているお店はで小さいですが、母娘のお二人は気さくな感じで良かったです。
<二人で4皿(16個)いただきました>
<伊勢うどん>
<菜の花のおひたし 美味しかったです>
<持っていたビールではなく、生中でした>
その後、店主の方からお勧めの喫茶店を聞き出し、喫茶店でお茶して帰ってきました。
答志島の牡蠣食べ放題は来年の楽しみにとっておきます。 もちろん伊勢志摩ライナーで。。
妻から以前から近鉄特急の「伊勢志摩ライナー」に乗ってみたい!!!と聞いていたので、2月に伊勢志摩ライナー希望で答志島の「牡蠣食べ放題ツアー」を申し込みしました。
昨日からビールを買い込んで準備。 そして今日を迎えました。 あいにくの雨だったので念のため鳥羽港から答志島への定期船を確認したら運航していることで出発。
近鉄四日市駅で特急を待っていると、電車が来ました。 あれれ。。白い電車です。 「伊勢志摩ライナー」ではなく、「アーバンライナー」でした。アーバンライナーは伊勢志摩ライナーより古いのでいまいちなのです。
急遽、車両変更があった様で、がっかり。。車内でお詫びのアナウンスが流れていました。
それでも鳥羽駅まで行きましたが、車中で再度、鳥羽から答志島に向かう定期船の状況をネットで確認したら、鳥羽から答志島への船は運航していましたが、答志島から鳥羽への船は欠航という情報が。。
島に渡って牡蠣を食べたら、帰ってこれないことがわかりました。
とりあえず鳥羽まで行き、港まで行ったらやっぱり欠航ということでがっかり。。鳥羽市は風雨が強く欠航止む無しという感じでした。
ここまで来たら何としても牡蠣を食べるということで駅の近くに牡蠣を食べさせてくれる店を探した結果、貝専門店があったので牡蠣、伊勢うどん、ビールを注文し二人でランチ。 牡蠣食べ放題はずでしたが、何とか牡蠣を食べることができました。 この牡蠣はぷりぷりで美味しかったです。
母娘でやっているお店はで小さいですが、母娘のお二人は気さくな感じで良かったです。
<二人で4皿(16個)いただきました>
<伊勢うどん>
<菜の花のおひたし 美味しかったです>
<持っていたビールではなく、生中でした>
その後、店主の方からお勧めの喫茶店を聞き出し、喫茶店でお茶して帰ってきました。
答志島の牡蠣食べ放題は来年の楽しみにとっておきます。 もちろん伊勢志摩ライナーで。。
2017年07月31日
広島に行ってきました
広島に行ってきました。 甥っ子の結婚式出席の為です。 広島は約30年振りです。
7月28日(金)の午後から結婚式ということで、早朝3時半に出発。 妻と二人で車による移動で距離は約470kmと長距離ドライブです。 高速道路で移動し、7時間余りで到着しました。 一人で運転です。
予定通り11時に到着。 午後より教会での結婚式に出席しました。 お二人はとても幸せそうで良かったです。
両家合わせて約20人の出席。 母、兄と姉、甥っ子と姉の姉妹と会えて良かったです。
結婚式の後、両家合わせて食事会。 食事もとても美味しく、ワインも頂きました。 少々飲み過ぎた様でホテルに帰って寝不足で寝てしまいしたが、妻から起こされ急ぎ夕方市内をジョギング。 夜は結婚式の2次会に参加しました。
翌日は早朝ジョギング。 マツダスタジアムまで走りました。
その後、妻と二人で平和記念公園と平和記念資料館に行きました。 資料館は本館は改装中であり、東館のみの見学でしたが、血塗られたワンピース、熱で変形した三輪車。。遺品から発せられるメッセージをしっかりと受け止めないといけないと思いました。
午後から宮島へ。 厳島神社へ。 この日も暑く大変でした。 世界遺産ということで観光客が多かったです。
そして帰宅。 行きは私一人で運転しましたが、帰りは疲れが出て妻と交代で運転し夜遅く無事帰宅しました。 往復970kmでした。
久し振りの広島でしたが、また訪れてじっくり回ってみたいです。 まだ見るべき所、見たい所があるので。。。
<新婦が描いた絵です。 式場の前で飾られていました>
<広島の市電です。 快適でした。 観光の移動手段は市電がお勧めです>
<資料館の展示品の三輪車です。 三歳の男の子が三輪車に乗っていて被爆して亡くなっった後、寂しくない様に三輪車と一緒に埋葬されたそうです。 そして改葬時に三輪車を掘り出しそうです>
<原爆の断面図です。 1kg満たないウランの核分裂が全てを破壊しました。>
<爆心地です。 グラウンド・ゼロ>
<旧広島新球場です。 センターからバックホームの風景です>
<宮島です。 暑かったです。。>
7月28日(金)の午後から結婚式ということで、早朝3時半に出発。 妻と二人で車による移動で距離は約470kmと長距離ドライブです。 高速道路で移動し、7時間余りで到着しました。 一人で運転です。
予定通り11時に到着。 午後より教会での結婚式に出席しました。 お二人はとても幸せそうで良かったです。
両家合わせて約20人の出席。 母、兄と姉、甥っ子と姉の姉妹と会えて良かったです。
結婚式の後、両家合わせて食事会。 食事もとても美味しく、ワインも頂きました。 少々飲み過ぎた様でホテルに帰って寝不足で寝てしまいしたが、妻から起こされ急ぎ夕方市内をジョギング。 夜は結婚式の2次会に参加しました。
翌日は早朝ジョギング。 マツダスタジアムまで走りました。
その後、妻と二人で平和記念公園と平和記念資料館に行きました。 資料館は本館は改装中であり、東館のみの見学でしたが、血塗られたワンピース、熱で変形した三輪車。。遺品から発せられるメッセージをしっかりと受け止めないといけないと思いました。
午後から宮島へ。 厳島神社へ。 この日も暑く大変でした。 世界遺産ということで観光客が多かったです。
そして帰宅。 行きは私一人で運転しましたが、帰りは疲れが出て妻と交代で運転し夜遅く無事帰宅しました。 往復970kmでした。
久し振りの広島でしたが、また訪れてじっくり回ってみたいです。 まだ見るべき所、見たい所があるので。。。
<新婦が描いた絵です。 式場の前で飾られていました>
<広島の市電です。 快適でした。 観光の移動手段は市電がお勧めです>
<資料館の展示品の三輪車です。 三歳の男の子が三輪車に乗っていて被爆して亡くなっった後、寂しくない様に三輪車と一緒に埋葬されたそうです。 そして改葬時に三輪車を掘り出しそうです>
<原爆の断面図です。 1kg満たないウランの核分裂が全てを破壊しました。>
<爆心地です。 グラウンド・ゼロ>
<旧広島新球場です。 センターからバックホームの風景です>
<宮島です。 暑かったです。。>
2017年01月30日
神宮お参りと牡蠣小屋
今日は休暇を取り、妻と妻のお友だちとその旦那さんと4人で鳥羽浦村の牡蠣小屋に行ってきました。
まずは伊勢神宮へお参り。 赤福を頂き、昨年のお伊勢さんマラソンで行った牡蠣小屋に行きました。
お伊勢さんマラソンで行ったときは身の大きさはいまいちでしたが、今日は身も大きくなっており美味しくいただきました。
帰りは鳥羽の安楽島温泉でまったりしました。
マラソン遠征でいつも一人楽しんで自分ですが、お返しとして家族含めて私も身近の人たちにも楽しんでもらいたいということで今回企画しました。
妻や妻のお友だちとその旦那さんも満足そうで良かったです。
まずは伊勢神宮へお参り。 赤福を頂き、昨年のお伊勢さんマラソンで行った牡蠣小屋に行きました。
お伊勢さんマラソンで行ったときは身の大きさはいまいちでしたが、今日は身も大きくなっており美味しくいただきました。
帰りは鳥羽の安楽島温泉でまったりしました。
マラソン遠征でいつも一人楽しんで自分ですが、お返しとして家族含めて私も身近の人たちにも楽しんでもらいたいということで今回企画しました。
妻や妻のお友だちとその旦那さんも満足そうで良かったです。
2016年07月27日
北海道旅行
7月22日から7月25日まで家族で北海道旅行に行ってきました。 目的は今年4月に就職した長女に会いに行くことと、プラス観光です。
旅行のルート以下の通りでレンタカーで移動しました。 総移動距離は850kmでした。
1日目 新千歳空港⇒小樽観光(運河、旧日本銀行小樽支店等)⇒札幌泊(すすきので夕食)
2日目 札幌⇒富良野(ファーム富田)⇒美瑛(ぜるぶの丘、ケンとメリーの木)⇒札幌泊(すすきので夕食)
※朝練習(札幌市中島公園内 5km+ラジオ体操)
3日目 札幌⇒札幌市内観光(時計台、旧道庁〜赤れんが庁舎〜)⇒白老町(長女吹奏楽発表会)⇒苫小牧⇒白老(ポロト温泉)⇒長女宅泊(スペイン料理屋グラダナで夕食)
※朝練習(中島公園⇄豊平川河川敷 13.5km)
4日目 長女宅⇒白老(アイヌ民族博物館)⇒洞爺湖⇒昭和新山⇒登別温泉⇒新千歳空港(長女とお別れ)
※朝練習(ポロト湖岸⇄ウツナイ川源流「もみじ平」トレイル 13.8km)
行く前は詳細計画を立てず、その日に行き先を決定。 行きあたりばったりの旅行でしたが、楽しむことができました。 また北海道のこと、アイヌのことも少し勉強になりました。 北海道はサロマで道東訪面を何度か訪れており少しは知っているつもりでしたが。。。改めて勉強になりました。
長女の様子は元気そうでした。 職場にも慣れ可愛がられている様です。 仕事は楽しいそうです。 後心配なのは北海道の冬が越せるがどうかです。
また2〜3年毎に道内で転勤があるそうです。 またその時に訪問したいと思います。
<ファーム富田のランベンダー>
<ケンとメリーの木>
<時計台>
<旧道庁>
<旧道庁と現道庁>
<洞爺湖>
旅行のルート以下の通りでレンタカーで移動しました。 総移動距離は850kmでした。
1日目 新千歳空港⇒小樽観光(運河、旧日本銀行小樽支店等)⇒札幌泊(すすきので夕食)
2日目 札幌⇒富良野(ファーム富田)⇒美瑛(ぜるぶの丘、ケンとメリーの木)⇒札幌泊(すすきので夕食)
※朝練習(札幌市中島公園内 5km+ラジオ体操)
3日目 札幌⇒札幌市内観光(時計台、旧道庁〜赤れんが庁舎〜)⇒白老町(長女吹奏楽発表会)⇒苫小牧⇒白老(ポロト温泉)⇒長女宅泊(スペイン料理屋グラダナで夕食)
※朝練習(中島公園⇄豊平川河川敷 13.5km)
4日目 長女宅⇒白老(アイヌ民族博物館)⇒洞爺湖⇒昭和新山⇒登別温泉⇒新千歳空港(長女とお別れ)
※朝練習(ポロト湖岸⇄ウツナイ川源流「もみじ平」トレイル 13.8km)
行く前は詳細計画を立てず、その日に行き先を決定。 行きあたりばったりの旅行でしたが、楽しむことができました。 また北海道のこと、アイヌのことも少し勉強になりました。 北海道はサロマで道東訪面を何度か訪れており少しは知っているつもりでしたが。。。改めて勉強になりました。
長女の様子は元気そうでした。 職場にも慣れ可愛がられている様です。 仕事は楽しいそうです。 後心配なのは北海道の冬が越せるがどうかです。
また2〜3年毎に道内で転勤があるそうです。 またその時に訪問したいと思います。
<ファーム富田のランベンダー>
<ケンとメリーの木>
<時計台>
<旧道庁>
<旧道庁と現道庁>
<洞爺湖>
2016年02月11日
切符買いましたA
2015年12月24日
30年勤続休暇旅行
今年、勤続30年となり特別休暇を5日間を頂きました。 そしてその休暇を利用して今週の日曜日(12/20)から水曜日(12/23)の4日間、沖縄の八重山諸島へ旅行に行きました。
最初は妻と2人の予定でしたが、長女が亜熱帯の植物を見たいということで+1で3人となりました。
行き先については海外も考えましたが、私がとにかく島に行きのんびりしたいいうことで八重山諸島に決まりました。 3人共八重諸島は初めて、私は沖縄本島は1回行ったことがありますが、妻と長女は沖縄本島も行ったことはなく、いきなり八重山に行くことになりました。
今回は旅行社のツアー参加ということで目的地もお任せとなりました。 ツアー参加者は40人程度。私より年配の方が多かったです。
1日目は那覇経由で石垣島へ夜到着。 ホテルは島の北西部の石垣シーサイドホテルに泊まりました。 部屋はコテージタイプでベランダにはジャグジーにもありリゾート気分を満喫できました。 プライベートビーチつきで快適に過ごせました。
<石垣シーサイドホテルのコテージです>
2日目は朝7時からホテルからプライベートピーチを走りホテルから出て岬の方向に向かってラン。 近くにClub Med Kabiraがあり、そこまで走りました。 Club Medは15年前にオーストラリアで利用したことがあり、楽しかったのでいつかはClub Med Kabiraで泊まりたいと思っていましたが、今回は隣のホテルに泊まることができました。
ランの方はClub Medで折り返して帰ってきました。 今回の旅行の目的は走ることではなく、家族との観光を楽しむことが目的なのでランは基本的に2人が起床する前に済ませることとしました。
9:30にホテルを出て、島を反時計回りに1周し観光しました。 天気は良く、展望台から島の市街地。海、離島が見えました。
<島の北東部の玉取崎展望台からの眺め。右側が太平洋、左側は東シナ海です>
3日目は出発が7:40と早いので早朝の5時からほぼ同じコースを走りました。 曇っていて街灯もなく、真っ暗でしたが、蛍から道端に点々と止まったり飛んでいました。 蛍の光を頼りに走りました。 少し感動しました。 石垣島は年中蛍が飛んでいる様です。
観光コースは石垣島から西表島を高速船で渡り、水牛車で由布島へ。 由布島で散策。 石垣島に戻り仲間川でマングローブ林をボートでクルージングしました。 長女が一番気に入った様でした。 道中は長女き亜熱帯の木々を写真に撮っていて図鑑で名前を調べていました。
<仲間川のクルージング>
<仲間川の奥に自生しているサキシマスオウノキ、樹齢400年>
そして石垣島に戻り、高速船で小浜島に渡りました。 小浜島のホテルは「はいむるぶし」です。「はいむるぶし」は南十字星の意味です。
「はいむるぶし」はリゾートホテルで、東京ドーム8個分の広さです。 ホテルに着いた後は時間があったのでプライベートビーチに行き、3人でハンモックで寝転がり、空をぼーっと観ました。 3日目も天気が良かったです。
ツアーとしては小浜島の観光はなく、リゾートホテル内の行動となります。
<はいむるぶしのプライベートビーチです>
<ハンモック>
4日目は早朝から小雨。 10:40に集合ということで7時から走り始めました。 目的地はNHKの朝の連ドラはちゅらさんのロケ地である民宿まで走りました。 ホテルから2km弱でした。 ホテルからジョギングコースとしてお勧めコースが設定されてましたが、集落はコースに入ってません。 お勧めコースはシュガーロード(さとうきひ畑の農道)を集落の入口まで走り折り返すコースでした。 今回はシュガーロードを走る予定でしたが、ミスコースしてシュガーロードを並行していたコースを走っていまいましたが、集落に入り走りました。 集落はお勧めコースでない理由は少し分かりました。 集落は道が狭く、生活道路という感じでした。 今回は早朝だったので住民の方はいなかったのですが、ここは走ると住民の方に迷惑をかけると思いました。
ちゅらさんの民宿を観てすぐに集落を離れて帰ってきました。
<シュガーロードです。 先は集落です>
<集落の様子です 左側の建物はちゅらさんのロケに使用された民宿です>
そして小浜島を離れ、石垣島へ。 オプショナルコースを頼まず、市内を三人で自転車で回りました。 妻と長女は本屋さんに行きたいとうことで3人で地元の本を買いました。
<自転車で散策>
<具志堅用高記念館>
そしてJAや地元のスーパーで買い物。 私は石垣島の英雄である具志堅用高記念館に行ってきました。 チャンピオンベルトや当時のTVのVTRが流されていました。
天気は何とか持ち、ツアーの終りである夕刻、石垣空港に向かう時、雨が降り出しました。
そして昨日夜帰ってきました。
ツアーということであっという間でしたが、天気も恵まれて贅沢な4日間でした。 長女は西表島が気に入ったらしく、今度は一人でゆっくりと森の中を歩きたいと言っていました。
私は事前に八重山の歴史等を勉強して再度ゆっくりと旅したいです。
★八重山の方言
いらっしゃいませ・・・オーリトーリ(ホテル等の入口に掲示していました)
ごめんなさい・・クヨーナーラ
ありがとうございました・・・ニーファイユー
最初は妻と2人の予定でしたが、長女が亜熱帯の植物を見たいということで+1で3人となりました。
行き先については海外も考えましたが、私がとにかく島に行きのんびりしたいいうことで八重山諸島に決まりました。 3人共八重諸島は初めて、私は沖縄本島は1回行ったことがありますが、妻と長女は沖縄本島も行ったことはなく、いきなり八重山に行くことになりました。
今回は旅行社のツアー参加ということで目的地もお任せとなりました。 ツアー参加者は40人程度。私より年配の方が多かったです。
1日目は那覇経由で石垣島へ夜到着。 ホテルは島の北西部の石垣シーサイドホテルに泊まりました。 部屋はコテージタイプでベランダにはジャグジーにもありリゾート気分を満喫できました。 プライベートビーチつきで快適に過ごせました。
<石垣シーサイドホテルのコテージです>
2日目は朝7時からホテルからプライベートピーチを走りホテルから出て岬の方向に向かってラン。 近くにClub Med Kabiraがあり、そこまで走りました。 Club Medは15年前にオーストラリアで利用したことがあり、楽しかったのでいつかはClub Med Kabiraで泊まりたいと思っていましたが、今回は隣のホテルに泊まることができました。
ランの方はClub Medで折り返して帰ってきました。 今回の旅行の目的は走ることではなく、家族との観光を楽しむことが目的なのでランは基本的に2人が起床する前に済ませることとしました。
9:30にホテルを出て、島を反時計回りに1周し観光しました。 天気は良く、展望台から島の市街地。海、離島が見えました。
<島の北東部の玉取崎展望台からの眺め。右側が太平洋、左側は東シナ海です>
3日目は出発が7:40と早いので早朝の5時からほぼ同じコースを走りました。 曇っていて街灯もなく、真っ暗でしたが、蛍から道端に点々と止まったり飛んでいました。 蛍の光を頼りに走りました。 少し感動しました。 石垣島は年中蛍が飛んでいる様です。
観光コースは石垣島から西表島を高速船で渡り、水牛車で由布島へ。 由布島で散策。 石垣島に戻り仲間川でマングローブ林をボートでクルージングしました。 長女が一番気に入った様でした。 道中は長女き亜熱帯の木々を写真に撮っていて図鑑で名前を調べていました。
<仲間川のクルージング>
<仲間川の奥に自生しているサキシマスオウノキ、樹齢400年>
そして石垣島に戻り、高速船で小浜島に渡りました。 小浜島のホテルは「はいむるぶし」です。「はいむるぶし」は南十字星の意味です。
「はいむるぶし」はリゾートホテルで、東京ドーム8個分の広さです。 ホテルに着いた後は時間があったのでプライベートビーチに行き、3人でハンモックで寝転がり、空をぼーっと観ました。 3日目も天気が良かったです。
ツアーとしては小浜島の観光はなく、リゾートホテル内の行動となります。
<はいむるぶしのプライベートビーチです>
<ハンモック>
4日目は早朝から小雨。 10:40に集合ということで7時から走り始めました。 目的地はNHKの朝の連ドラはちゅらさんのロケ地である民宿まで走りました。 ホテルから2km弱でした。 ホテルからジョギングコースとしてお勧めコースが設定されてましたが、集落はコースに入ってません。 お勧めコースはシュガーロード(さとうきひ畑の農道)を集落の入口まで走り折り返すコースでした。 今回はシュガーロードを走る予定でしたが、ミスコースしてシュガーロードを並行していたコースを走っていまいましたが、集落に入り走りました。 集落はお勧めコースでない理由は少し分かりました。 集落は道が狭く、生活道路という感じでした。 今回は早朝だったので住民の方はいなかったのですが、ここは走ると住民の方に迷惑をかけると思いました。
ちゅらさんの民宿を観てすぐに集落を離れて帰ってきました。
<シュガーロードです。 先は集落です>
<集落の様子です 左側の建物はちゅらさんのロケに使用された民宿です>
そして小浜島を離れ、石垣島へ。 オプショナルコースを頼まず、市内を三人で自転車で回りました。 妻と長女は本屋さんに行きたいとうことで3人で地元の本を買いました。
<自転車で散策>
<具志堅用高記念館>
そしてJAや地元のスーパーで買い物。 私は石垣島の英雄である具志堅用高記念館に行ってきました。 チャンピオンベルトや当時のTVのVTRが流されていました。
天気は何とか持ち、ツアーの終りである夕刻、石垣空港に向かう時、雨が降り出しました。
そして昨日夜帰ってきました。
ツアーということであっという間でしたが、天気も恵まれて贅沢な4日間でした。 長女は西表島が気に入ったらしく、今度は一人でゆっくりと森の中を歩きたいと言っていました。
私は事前に八重山の歴史等を勉強して再度ゆっくりと旅したいです。
★八重山の方言
いらっしゃいませ・・・オーリトーリ(ホテル等の入口に掲示していました)
ごめんなさい・・クヨーナーラ
ありがとうございました・・・ニーファイユー
2014年09月24日
会津散策
今日、会津、川崎から帰宅しました。 21日(日)は会津へ移動。 22日(月)は会津で仕事、23日(火)はオフ日で会津散策、24日(水)は川崎で仕事でした。
さて本題の23日(火)の会津散策ですが、昨年の大河ドラマの「八重の桜」を見ていたので、そのゆかりの地を中心に訪ねると計画をしました。
散策としては本当は走って回りたかったのですが、今は調子が悪いので駅近くの観光協会にて自転車を借りることにしました。 費用は1日500円、荷物を預かってくれるのでお得感がありました。
今回の回った地は以下の通りです。
@蒲生氏郷の墓
会津の町とお城(鶴ヶ城)を整備した武将です。 ちなみに会津若松の若松は氏郷の郷里である滋賀県日野町にある森にちなみ「若松」と名付けたそうです。 一説によると氏郷が立てた三重の松坂城の松に由来しているらしいです。 ここでも会津と三重とは関係があると言えます。
A山本覚馬と八重の生誕地
この場所はわかりにくかったです。 案内板も小さいです。 家は残っていなく月極駐車場になっっていました。 ここで覚馬と八重は鉄砲の練習をしている情景を思い浮かべました。
B日新館天文台
会津藩校である日新館が見れると思いましたが、天文台のみ残っていました。 残念ながら本館は戊辰戦争で焼失。 日新館は復元されたのですが、市の北の方にあるそうです。時間がなかったので次回観に行きます
C鶴ヶ城 北出丸
会津まつりの藩公行列を観る為、1時間近く待機。 綾瀬はるかさんがゲストとして行列に参加というこで沿道は二重三重の列でした。彼女が通った時は大盛り上がりしましたが、通り過ぎた後は人が半分位になりました。 その後もじっくり観ました。 歴代藩主、白虎隊、新撰組等、格好良かったです!! 桑名市と松阪市も人たちも参加していました。
D西郷頼母(たのも)邸跡
会津藩家老西郷頼母の邸跡。 同じ北出丸の近くにありました。 西郷頼母は松平容保の京都守護職の就任に反対していました。 京都守護職に引き受けた結果、戊辰戦争に巻き込まれ会津は壊滅状態となりました。
ここで頼母の妻子、一族21人は新政府軍が来る前は自刃されました。(頼母は脱出し生き延びます)
E善龍寺
ここは西郷頼母夫妻のお墓と自刃された21人の一族のお墓がありました。 西郷頼母邸は消失し、焼けた後から21人の遺骨を捜して善龍寺に籠に入れて運んだそうです。戊辰戦争の痛ましさを実感しました。
また「なよたけの碑」がありました。頼母の妻の千重子の辞世の句が刻まれていました。
「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節の ありとこそきけ」
意味は「弱いなよ竹と同じように風に吹かれてしまう身だけれど、強風にも曲げられないなよ竹の節のように、私も節義に殉じてみせる」と死を目の前に強い意志を感じます。
F会津藩主松平家墓所
ここは山の上にありました。 麓から40分かかると案内板に書いていましたので速足で上がりました。 (トレランの練習場所では最適ですが、墓所ということで走ってはいけない場所です)
実際は10分位で登れました。
歴代藩主の神式のお墓があり、荘厳に雰囲気でした。 松平容保のお墓に合掌しました。
半日の散策でしたが、7箇所回ることができました。 また会津のことを少し勉強できました。 一方会津当時をしのぶ建物等はほとんど残っていないという印象でした。 戊辰戦争で町が消失した為と思われます。
まだまだ行けていない場所もあるので次回は一日かけて散策したい思います。
もう少し福島のことを知りたいです。
さて本題の23日(火)の会津散策ですが、昨年の大河ドラマの「八重の桜」を見ていたので、そのゆかりの地を中心に訪ねると計画をしました。
散策としては本当は走って回りたかったのですが、今は調子が悪いので駅近くの観光協会にて自転車を借りることにしました。 費用は1日500円、荷物を預かってくれるのでお得感がありました。
今回の回った地は以下の通りです。
@蒲生氏郷の墓
会津の町とお城(鶴ヶ城)を整備した武将です。 ちなみに会津若松の若松は氏郷の郷里である滋賀県日野町にある森にちなみ「若松」と名付けたそうです。 一説によると氏郷が立てた三重の松坂城の松に由来しているらしいです。 ここでも会津と三重とは関係があると言えます。
A山本覚馬と八重の生誕地
この場所はわかりにくかったです。 案内板も小さいです。 家は残っていなく月極駐車場になっっていました。 ここで覚馬と八重は鉄砲の練習をしている情景を思い浮かべました。
B日新館天文台
会津藩校である日新館が見れると思いましたが、天文台のみ残っていました。 残念ながら本館は戊辰戦争で焼失。 日新館は復元されたのですが、市の北の方にあるそうです。時間がなかったので次回観に行きます
C鶴ヶ城 北出丸
会津まつりの藩公行列を観る為、1時間近く待機。 綾瀬はるかさんがゲストとして行列に参加というこで沿道は二重三重の列でした。彼女が通った時は大盛り上がりしましたが、通り過ぎた後は人が半分位になりました。 その後もじっくり観ました。 歴代藩主、白虎隊、新撰組等、格好良かったです!! 桑名市と松阪市も人たちも参加していました。
D西郷頼母(たのも)邸跡
会津藩家老西郷頼母の邸跡。 同じ北出丸の近くにありました。 西郷頼母は松平容保の京都守護職の就任に反対していました。 京都守護職に引き受けた結果、戊辰戦争に巻き込まれ会津は壊滅状態となりました。
ここで頼母の妻子、一族21人は新政府軍が来る前は自刃されました。(頼母は脱出し生き延びます)
E善龍寺
ここは西郷頼母夫妻のお墓と自刃された21人の一族のお墓がありました。 西郷頼母邸は消失し、焼けた後から21人の遺骨を捜して善龍寺に籠に入れて運んだそうです。戊辰戦争の痛ましさを実感しました。
また「なよたけの碑」がありました。頼母の妻の千重子の辞世の句が刻まれていました。
「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節の ありとこそきけ」
意味は「弱いなよ竹と同じように風に吹かれてしまう身だけれど、強風にも曲げられないなよ竹の節のように、私も節義に殉じてみせる」と死を目の前に強い意志を感じます。
F会津藩主松平家墓所
ここは山の上にありました。 麓から40分かかると案内板に書いていましたので速足で上がりました。 (トレランの練習場所では最適ですが、墓所ということで走ってはいけない場所です)
実際は10分位で登れました。
歴代藩主の神式のお墓があり、荘厳に雰囲気でした。 松平容保のお墓に合掌しました。
半日の散策でしたが、7箇所回ることができました。 また会津のことを少し勉強できました。 一方会津当時をしのぶ建物等はほとんど残っていないという印象でした。 戊辰戦争で町が消失した為と思われます。
まだまだ行けていない場所もあるので次回は一日かけて散策したい思います。
もう少し福島のことを知りたいです。