1週間前の10月20日に、高校同窓会企画「歩こう会」が行われました。
この歩こう会は毎年を行っています。 私は幹事として企画に以前から携わっていますが、再発見も多く、参加者以上に楽しんでいます。
今回のコースは名古屋城本丸御殿〜白壁界隈です。
コース図です。私が作りました(力作??)。(引用元:名古屋市発行の文化のみち) 走るのには少し短いコースです。

参加者は14人、年齢層は30代(ご家族含めると4歳)から上は70代と幅広いです。
福岡県の高校なので遥か遠い名古屋地区でこれだけ集まるのは珍しいと思います。
まずは名古屋城。 本丸御殿ですが、残念ながら本丸御殿は長蛇の列で入れず、外から眺めるだけとなりました。 当日、名古屋まつりということで名古屋城も無料開放だったせいかもしれません。

予定変更して城内散策。 清正石です。 ガイドさんから説明を受けました。 この石は清正石ですが、実際は黒田長政が運んで築いたそうです。(黒田家は福岡藩主。。少し縁を感じました)

次は二の丸御殿のお茶屋に行きました。 茶屋の中には金の茶釜が展示していました。 金シャチは空襲で焼失。 その燃えがらで作ったものです。 茶釜の丸八は名古屋市の市章であり、尾張藩の略章です。

きんさん、ぎんさん桜です。 あのきんさん、ぎんさんがで平成5年3月24日に植樹した桜で25年となります。

名古屋城の石垣です。角の箇所が直方体の石が交互に積まれいています。 算木積(さんぎづみ)と呼ばれているそうです。 丈夫そうです。 N先輩から教えていただきました。

次は埋御門(うずみごもん)。 藩主脱出用の門です。 ここから梯子を使って堀を舟で渡り脱出するそうです。 実際は使わていなかったということです。


名古屋城はこれで終わりです。 城を出て、市政資料館に向かいます。

途中、名古屋拘置所の脇を通ります。

市政資料館は元は旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎です。 全国で現存する控訴院は名古屋と札幌だけです。 ネオ・バロック建築の立派な建物です。

中央階段です。 当日は結婚式があったので赤い絨毯が敷かれていました。


会議室です。 格式高く美しいです。 40畳と広く、1枚もの絨毯敷かれていました。 相当な高価ということです。(金額は忘れました)

昼食です。 イタリアンレストランです。 後輩のMさんが探してくれました。 お料理美味しかったです。 幹事なのにワインを3杯飲んでしましまた。

デザートです。

予定変更し二葉館へ
日本初の女優と謳われた川上貞奴と 電力王と称された福沢桃介が、大正から昭和初期にかけて暮らしていた邸宅を移築・復元したものです。

中のステンドグラスがきれいです。

ガイドさんから説明を聞きます。

川上貞奴愛用の三味線

着物です。 家紋は川上家の家紋です

さすが電力王の桃介です。 配電盤がありました。

続いて橦木館へ行きますが、その前の山吹公園に慰霊碑がありました。ここに旧市立第三女学校があり、生徒が軍需品を作っていましたが、米軍の空襲に遭い防空壕に爆弾が直撃、避難していた生徒さん42人が爆死したということです。 戦争は悲惨なことを実感しました。

橦木館到着。 輸出陶磁器商の井元為三郎が、大正末期から昭和初期に建てた邸宅です。

お洒落な玄関灯です。

名古屋の陶磁器産業の歴史を説明したパネルです

陶磁器が展示されていました。

橦木館を出て歩くと屋根神さまがありました。

豊田佐助邸です。 、豊田自動織機創業者である豊田佐吉さんの弟さんです

豊田家の家系図です。

白壁地区は豊田家の邸宅が点在していますが、残っているのは佐助邸のみです

豊田家のマークです。


風通しをよくする為、障子等工夫されています。


壁の中は筋交いが入っており、耐震構造となっています。興味深いものがありました。


高級料亭「か茂免(かもめ)」です。 元は尾張徳川家中級武士の安藤十次郎邸跡です。 モダンな洋館は大正8年建築です。

ここは豊田佐吉の娘婿であった豊田利三郎の旧邸宅跡。門と壁しか残っていません。門は格式高い薬医門です。

最後に百花百草到です。 岡谷鋼機の創業家である岡谷家の邸宅でした。

名の如く、庭はお花が咲いていてきれでいした。 ここでお茶を飲み解散しました。

名古屋は歴史的産物がたくさん残っていました。 以前、ある名古屋人から名古屋(特にお城)はつまらないと聞いたことはありますが、見所満載です。 もう少しPRすればいいかなと思いました。