2019年10月14日

幻の大仏鉄道を走る!

昨日、frunの23周年記念イベント「幻の大仏鉄道を走る!」に参加しました。 
私がお世話になっているランニングフォーラム(チーム)「frun」は10月10日で発足23周年となります。 その記念イベントとして昨年は「大坂・上町台地を走る」、一昨年は「近江富士合宿」、3年前の20周年記念は「京都観光マラニック」が企画され毎年参加しています。 このイベントに参加することにより1年に1回しか会えないメンバーも多く、毎年楽しみにしています。

さて大仏鉄道とは幹事であるケイタローさんから案内を引用すると

「正式には関西(かんせい)鉄道・大仏線といいます。関西鉄道は、1895年(明治28年)に名古屋・草津間、2年後柘植から加茂まで開通し、翌年さらに梅谷を経て黒髪山トンネルから奈良市内へ下り、奈良駅に乗り入れました。途中の法蓮に大仏駅がつくられ、東大寺の大仏詣などの客で賑わったといいます。しかし起伏の多い路線だったため、平坦な現在の関西本線の開通により、わずか9年で廃線に追い込まれました」
ということです。

大仏鉄道のパフレットです。

大仏鉄道1.jpg

大仏鉄道2.jpg

近鉄奈良駅に集合。JRで加茂駅まで移動してスタートします。東大寺まで向けて走り(歩き)ます。 18人のラン仲間で走ります。

加茂駅のフォームの右側で一段低くなっている箇所が大仏鉄道のホーム跡です。
ちなみに左に停車している気動車(キハ120形)は亀山駅⇄加茂駅間を走っている気動車で私が京都まで行く時に乗るときに利用します。

加茂駅.jpg

加茂駅からスタート。 スタートから2.7km地点の観音寺橋台に到着。 手前です。 後方は現関西本線の橋台で丁度電車が走っていました。
しっかり成形された石が積まれていました。ヨーロッパの算木積みです。
現関西本線の橋台も古いです。

観音寺橋台.jpg

続いて3.8kmの鹿背山(かせやま)橋台に到着。川が流れていました。石の表面黒く変色していて古いです。

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4.9km地点の梶ヶ谷隧道に到着。 隧道はトンネルという意味です。 ここは煉瓦積みです。アーチ部はドイツ積み(小口積み)。 真ん中はイギリス積みと思います。 土台は石の算木積です。

梶ヶ谷隧道.jpg

続いて5.2km地点の赤橋に到着。 橋の上は渡れます。ここは隅み石、他は煉瓦が使用されいました。 丈夫そうです。 4ton車が通行できます。煉瓦の積み方はイギリス積みと思います。

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暫くして関西鉄道の社章が見えました。

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6.7km地点の松谷川隧道に到着。煉瓦の色が違います。焼き方で色を変えている様です。 煉瓦の積み方はここもイギリス積みと思います。 

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奈良県に入ります。 8.3km地点の鹿川隧道に着きました。 小振りのトンネルです。 トンネルには農業水路が通っています。

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奈良市の街を走り大仏鉄道記念公園(10.9km)に到着。 ここは昔大仏駅があった所ですが、面影はありません。

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そして歩いて東大寺に到着。 12.7kmで3時間のマラニックでした。

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100年以上の前の大仏鉄道沿いを走りましたが、遺構として橋台とトンネルが残っているのみです。 しかし現地では当時の写真も紹介されており当時のことを想像すると楽しいです。

マラニック後の銭湯に入り、中華のお店で打上げしました。 メンバーは20人と大盛況でした。
来年24周年の企画されるそうです。 メンバーも歳を重ねていきますが、来年も全員元気な姿で再会をしたいです。 

幹事のケイタローさんありがとうございました。 参加の皆さんありがとうございました。
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2018年10月14日

知多半島横断マラニック

今日はじんさん主催の「知多半島横断マラニック」に参加しました。 じんさん主催のマラニックは昨年の11月26日は「半高ぶらマラ」にも参加しており、毎年楽しみな企画の一つです。

コースは以下の通りです

<スタート〜魚太郎>
知多@.jpg

<魚太郎〜ゴール>
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10:35に名鉄河和駅からスタートしました。 

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海岸沿いを南下しました。 

<じんさんの後に続きます>
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<子どもたちが参加するヨットスクールの様です>
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3.6km先の魚太郎で早昼食。 イクラ丼をいただきました。 ここは初めてですが、お客さんも多く、市場あり、食堂あり、バーベキューありとお魚好きの人は楽しいそうな所です。 いつかは家族を連れていきたいです。

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その後、北上しました。 海岸沿いを走ります。 途中河童の像がありました。 河童のこと調べたら「美浜の河童伝説」がある様です。別の場所にお父さん河童と子ども河童の像がある様です。

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さらに北上します。 写真中央に遠くに見える白い煙突は「中部電力 武豊火力発電所」です

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そしてお寿司屋さんの手前で左折します。 

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いよいよ半島を横断します。 オレンジラインというハイキングコースです。 道幅は狭く、ほぼロードですが、未舗装の箇所もありました。上りはきつくありません。 コースはこんな感じです。 紅葉の時はきれいだと思います。

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最高地点の鍋山に到着。 標高81.5mしかないのですが、知多半島唯一の一等三角点の山だそうです。 一等三角点に行き、少し景色を眺めました。

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ここから下り傾向です。 知多半島有料道路を横断しました。 名鉄知多奥田駅に到着。 ここにオレンジラインの案内板がありました。

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さらに先に進むと鵜ノ池に到着。 カワウの繁殖地だそうです。 日本のカワウの90%が住んでいるらしいです。

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名鉄知多奥田駅に到着。 ここにオレンジラインの案内板がありました。

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そして南知多ビーチランド近くのゴールのかんぽの宿 知多美浜に到着しました。 総距離22.1kmでした。

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ここでお風呂に入り、宿のシャトルバスで名鉄知多奥田駅まで送っていただきました。
初めてのコースでゆったりと楽しく走りました。 そしていろいろと発見もありました。

じんさんありがとうごさいました。 また来年企画されたら参加します。


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2018年10月13日

「大坂・上町台地を走る!」A

楠木大神(くすのきおおかみ)から谷町7丁目交差点を西に抜けます。 

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そして南下して高津宮(こうづぐう)に到着しました。

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 高津宮の入口の坂を上ります。 この坂は縁切り坂と呼ばれています。 昔は三曲り半になっていたため、「三行半・三下り半」と掛けて「縁切り坂」と呼ばれたそうです。 悪縁を絶ってくれる坂として有名らしいです。

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高津宮は仁徳天皇を祀った由緒ある神社ですが、上方落語の「高津の富」という富くじの話で有名で落語の舞台になっている神社です。上方落語と縁の深い神社です。
ということで5代目桂文枝の碑が立てられていました。(今の桂文枝さんは6代目) ここでは今でも落語会が行われているそうです

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少し奥まった所に梛(なぎ)の苗木が植えられていました。 木札の内容とと事前学習から由来を私なりに書いてみました。
「ここに5代目の桂文枝が創作落語(熊野詣)。 梛の葉に熊野権現のありがたいお告げがあらわれるお話です。
一方和歌山県新宮市の熊野速玉大社に樹齢千年の梛の大木があり、熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。高津宮は熊野街道は九十九王子(くじゅうくおうじ、王子とは参詣途上で儀礼を行う場所)の三番目の郡戸王子(こうとおうじ)があったらしく5代目の桂文枝の最後の口演がここ高津宮での(高津の富)です」
という縁でここに熊野速玉大社の梛の苗木が記念植樹されたそうです。

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高津宮を後にし、次に真言坂がありました。いよいよここから「天王寺七坂」が始まります。天王寺七坂の地図です。 ケイタローさんが準備されました。

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ここは真言宗の寺院が十坊があったといことで真言坂と呼ばれています。 今はマンションで面影はありません。

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真言坂を上ったら「生國魂神社(いくたまじんじゃ)」。「いくたまさん」、「生玉さん」で親しまれています。

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神武東征の際に創建されたと社伝にあります。実際は、孝徳天皇の時に難波宮ができる前にはあったと考えられています。そして、祭神が生島神(いくしまのかみ)と足島神(たるしまのかみ)。この2人の神様は、国の神霊とされ、新天皇の即位儀礼の1つである難波で行われる八十島祭(やそしままつり・今はやってません)の際にも主神に祀られていました。宮中の祭祀と深い関わりを持つ、大阪を代表する神社です。(事前学習より)

境内の中では2つの像がありました。
織田作之助です。小説家で「夫婦善哉」で有名です。

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井原西鶴です。浮世草子、人形浄瑠璃作者、俳諧師で有名です。当地で万句俳諧を興行したということです。 

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像の近くには猫もいました。 あまり可愛くないです。 大阪は猫多い印象です。 マラニック中にたくさんの猫さんと出会いました。 タイガースファンが多い大阪人は猫を大切にしているかもしれません。

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境内は広く、立派な拝殿がありました。

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これからも続きます。

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2018年10月12日

「大坂・上町台地を走る!」@

今週の月曜日の10月8日に「frun 22周年記念飲み会」があり、参加しました。 ケイタローさんとうずらさんが企画されました。
私がお世話になっているランニングフォーラム(チーム)「frun」は10月10日で22周年となります。 昨年は、「近江富士合宿」、一昨年の20周年記念は「京都観光マラニック」があり両方の企画に参加しました。

今年は飲み会の前にランの部として「大坂・上町台地を走る!」というマラニックです。 森ノ宮駅から四天王寺まで走るコースです。

<ケイタローさんが準備された地図>
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<ジョグノートより>
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事前学習としてケイタローさんからコースの説明、由来等がアップされていました。
当日はうずらさんから小冊子にまとめていただき配られました。 ありがとうございました(宝物になりそうです)。

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森ノ宮駅に集合。 ランの部は15人参加です。 駅からスタートしすぐに森ノ宮ピロティ―ホールに到着。 ホールの下に「森ノ宮遺跡」があり見学です。 ここの遺跡は年に3回しか公開されていなく、たまたま当日は公開日だったです。 展示室に入ると縄文時代の人骨が展示していました。

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女性で30代だそうです。
ここで興味をひいたのは大坂の地形の変遷です。 この辺りは海の近くだったそうですすが、やがて河内湖ができます。 またはここは上町大地の突端に位置しており、遺跡の近くの大坂城が築かれました。

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ここで思い出したのは名古屋城。 名古屋城も名古屋台地に突端に築かれているので類似していると思いました。

<古代の名古屋台地 出典:Network2010>
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遺跡には貝塚もあった様です。 海から湖に変わったということで海水のマガキから淡水のシジミに変わってきたそうです。 

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森ノ宮遺跡を出発。 次は玉造稲荷神社。 伊勢参宮本街道の起点だそうです。 伊勢神宮まで170kmということ。 走っていけるかとな思いましたが、峠があり大変みたいです。

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ここで目をひいたのは鳥居。 豊臣秀頼が奉納したものということですが、阪神大震災により一部損傷を受けたことによりこの様な形になったそうです。

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次は真田丸に向かいました。 まずは三光神社。 三光神社では幸村の銅像がありました。 大河ドラマ「真田丸」が放映されいた頃は観光客は多かったみたいですが、今は閑散していました。 

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銅像の近くに大阪城の抜け穴跡?ありました。 少し覗きましたが、繋がっていない様子です。 

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神社を後にし、暫く走ると明星学園のグラウンドの前に真田丸顕彰碑がありました。 先ほどの三光神社含めてここに真田丸があったみたいですが、その面影もなく想像できません。

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ここから西進します。 谷町筋手前に熊野街道の石標がありました。 熊野三山参拝に行く街道です。

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暫く行くと道の真ん中にお宮さんがありました。 異様な風景だったのですが、気になりましたので写真だけ撮りました。 後で調べたら「楠木大神(くすのきおおかみ)」ということです。 愛称は「クスノキさん」ということです。 ここの木を切った時、祟りがあったという噂です。

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興味深いものたくさんで、お腹いっぱいになりそうなマラニックですが、まだまだ続きます。

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2018年07月23日

名古屋荒子マラニックとリニア・鉄道館

今日は会社が休日だったので猛暑の中、名古屋へ行きました。 以前から行ってみたいと思っていた中川区の荒子地区を走るマラニックです。もちろんお一人マラニックです。

初めてなので今日荒子について調べたら、加賀百万石の前田利家が生まれた所であることを知りました。
また今日のマラニックの参考にした資料はこれです。 あおなみ線のホームページから入手しました。 とてもわかりやすいです。
この資料を持って走ることにしました。

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名古屋駅からあおなみ線に乗って、荒子駅に到着。 早速、前田利家の銅像がありました。 初陣の像です。

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まずは神明社。 荒子観音寺の守護神だそうです。

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そして隣は荒子観音寺。 多宝塔は名古屋市内最古の木造建築物だそうです。 山門見応えありました。

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参道を走り、富士権現社へ 荒子城址で、前田利家が生まれた所です。

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次は寶珠院(ほうじゅいん)。 名古屋三弘法の一番寺ということで案内板がありました。

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雨宮神社。 水の神さまです。 こじんまりした神社です。

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次に龍潭寺です。 苔で有名なお寺ですが、あまりにも暑くて苔も干上がっていました。

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最後は西生寺です。イブキの木で有名です。 立派に木です。

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そしてゴールの荒子駅です。 9.4kmで2時間半近く。 暑かったです。 でもいろいろと見れて良かったです。

この後、あおなみ線で金城ふ頭に移動。 リニア・鉄道館へ。 前から行ってみたいと思っていました。
子どもに戻って新幹線の運転台に入ったり、0系の前で写真を撮ったりして楽しみました。 0系の前での写真はスタッフの女性から「お兄さん、いいポーズを」と言われ、2回撮り直ししました。 お兄さんと言われ嬉しかったです。

またたくさんの車両を見学した写真を撮りました。2時間近くいましたが、とても時間は足りません。

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そして一番の発見はリニアの原理が良くわかったことです。 フレミングの左手の法則(リニアの磁力を発生させる)とフレミングの右手の法則(リニアを浮上させる)が組み合わせてリニアが走ることがわかりました。 そのリニアの浮上の原理として磁石を持ったリニアが走ることによりガイドに設置したコイルに電磁誘導により電流が流れ、磁石となりリニアが浮上というものです。
(上手く説明できませんが。。)

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少しだけ歴史と科学の知識が増えた一日でした。

<本日の練習内容>
名古屋荒子マラニック9.4km
<7月の走行距離>
253.4km
<年間走行距離>
3,030.1km
<連続走行日数>
1,464日




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2018年06月17日

名古屋→四日市マラニック & お祝い会

昨日はnakayoshiさんとI田先生のお祝い会があり参加させていただきました。
 
nakayoshiさんは四国巡礼(逆打ち)満願のお祝い、I田先生は先月の鯖街道ウルトラマラソンの完走と来年3月に大学を定年退官されるということでのお祝いです。

お祝い会の前にI田先生が名古屋(金山)から四日市まで走られるということで参加しました。
私は金山から下車するのも初めて、名古屋から四日市方面まで走るのも初めてでした。
スタート時はメンバーはI田先生、今回のお祝い会をとりまとめて頂いた酔いどれランナーさんシュガーさんと、私の4人です。

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金山駅から国道19号線(伏見通り)を南下、白鳥橋より国道1号線に走り、西進します。
10時前に金山駅をスタート。 最初は歩きからスタートします。 天気はほぼ快晴で、心地良い風が吹いていました。

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まずはI田先生のお薦めの串焼き屋(1.2km)に立ち寄り、店のご主人に挨拶。 とても美味しい所ということで機会があれば行ってみたいです。

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すぐ近くの熱田神宮公園の横を走るとI田先生からここに古墳があると言われました。
断夫山古墳(前方後円墳)です。 次はじっくり見てみたいです。


国道1号線に入り白鳥橋(2.5km)を渡ります。 堀川です。 ここを一人マラニックしたことを思い出しました。 I田さんからここで屋形船に乗ったと言われていました。

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次に昭和橋(4.8km)を渡ります。 中川運河です。

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次に一色大橋(8.4km)を渡ります。 庄内川です。 ここで松蔭という地名がありました。
吉田松陰のゆかりの地かと思いましたが、関係ない様です。 松蔭遊園地があり水泳場があった様です。

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次に三日月橋(9.5km)を渡ります。 新川です。

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10km地点のコンビニで休憩。 少し暑くなっったのでビールを飲み休憩です。

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名古屋市を抜け、蟹江町、弥冨市に入ります。 ラーメン屋(17.3km)でランチタイムです。
2時間38分30秒かかりました。
ここでチャーシュー盛りをつまみに生中を飲みました。 美味しかったです。

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30分後再スタート。 やがて少し遅れていたI田先生と、同じく名古屋からスタートしたともともちゃんが追い付き合流しました。

木曽川(19.9km)を渡ります。 木曽川を渡り終わった後、桑名から逆走されたB野さんと合流です。

ここから時々休憩を入れながら走り、時間の関係で川越富洲原駅でゴールとなりました。(32.1km) 5時間35分35秒(休憩等含めて)でした。

夕刻より四日市市でお祝い会がスタート。nakayoshiさんは久し振りお会いできました。
nakayoshiさんは私のウルトラマラソンの師匠です。 2006年に「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に誘って頂き、初参加。 そして完走できました。もしnakayoshiさんとお会いすることがなかったらサロマを走る事もないし、ウルトラもたくさん走ってはいないと思います。
とてもお元気そうで良かったです。 来年も計画を立てられているということでご活躍が楽しみです。

I田先生とは酒蔵マラニックや尾張旭ランニングクラブの「維摩池周回チャリティマラソン」でお世話になりました。
そして先月、「鯖街道ウルトラマラソン」で一緒に完走できたことがいい思い出になりました。

お祝い会はnakayoshiさん、I田さんとお仲間と楽しくお話ができて、4次会まで楽しい時間を過ごすことができました。

あらためてnakayoshiさん、I田先生おめでとうございます。 今回とりまとめして頂いた酔いどれランナーさんありがとうございました。 参加の皆様お疲れ様でした。


<昨日の走行距離>
名古屋→四日市マラニック(金山駅→自宅) 32.1km
<6月の走行距離>
242.3km
<年間走行距離>
2,588.9km
<連続走行日数>
1,427日


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2018年03月31日

おひとり夜桜マラニック

今日の練習は桑名城跡(九華公園)向けて旧東海道沿いを走るマラニックでした。 練習後に九華公園にて夜桜見物をしました。

夕刻自宅を出発。 近くの川(朝明川)沿いでは桜並木があり満開になっていました。
近所に住んでながらこの風景は初めてでした。

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そして旧東海道に入り、約10kmで桑名の銭湯(七里のわたしゆ)でゴール。 ここでマラニックは終りです。 そう言えば今月は銭湯2回目です。 前回は板橋City後の東京の赤羽の銭湯でした。 銭湯もいいものです。

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銭湯で汗を流した後、歩いて桑名宿の七里の渡しへ。 お月さまはきれいでした。 今月の2回目の満月というこでブルームーンだそうです。見ると幸せになれるそうです。 こうして走って花見ができるということは幸せなことかもしれません。

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そして九華公園へ。 ビール、牛串、フランクフルト、コロッケを買い、お一人花見をしました。 夜のライトアップされた堀沿いの桜はきれいでした。

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復路は電車で帰りました。 このおひとり夜桜マラニックは昨年も行ないましたので毎年の恒例行事になりそうです。

<本日の走行距離>
夜桜マラニック 10.1km
<3月の走行距離>
411.8km
<年間走行距離>
1,363.3km
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2017年12月23日

堀川マラニック

昨日は会社をお休みして、名古屋の堀川沿いを走りました。 堀川は初めてです。 

天気が良くマラニック日和でした。コースは熱田の七里の渡しから名古屋城(名城公園)までです。

コース図です。

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スタートは熱田の七里の渡しです。 ここから可能な限り堀川沿いを走ります。
「時の鐘」です。時刻を鐘で知らせます。 再建された様ですが、鐘は残っている様です。

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少し走って振り向いた風景です。 右手は堀川でそのまま伊勢湾に流れます。 左手の新堀川はUターンして名古屋市の中心部に繋がります。

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暫く走ると穴だらけの護岸がありました。 熱田空襲の爆撃により穴が開いたということです。

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堀川はたくさんの橋が架けられています。 それぞれ個性があり橋好きの人は面白いと思います。

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名古屋国際会議場(センチュリーホール)です。 イメージとして白鳥が翼が広げているデザインの様です。

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堀川沿いは材木屋さんが多いです。 昔貯木場が多かった様です。 伊勢湾から運ばれた木曽のヒノキを扱っていた様です。

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今回行ってみたかった松重の閘門(こうもん)です。 隣接する中川運河とつなぐ水門です。 2つの水門がある理由は堀川と中川運河の水位が異なるということです。 パナマ運河と同じ原理です。 水門の塔はレトロで美しい建築物です。

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6km過ぎ納屋橋へ。 ここ行ったことがあると思い出しました。 「なやばしビール祭り」で行ったことがあります。で来年行ってみようかな。
そして桜が咲いていました。 冬桜の様です。 少し嬉しくなりました。

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名古屋城近くになると古めかしい商店街が見えてきました。 円頓寺(えんどうじ)商店街です。 名古屋で古い商店街の一つだそうです。 時間があれば散策したかったのですが、今回はパスしました。 次回のお楽しみです。

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そして名古屋城へ 

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名古屋城から名城公園へ向かいます。 

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そして名城公園の入り口の中土戸(なかつちと)橋を渡りました。
この橋は小さいですが、昭和7年(1932年)にできた古い橋です。

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そして名城公園に入り1.5周してマラニックは終わりました。

12km近く2時間かけて走りましたが、いろいろ発見ができて楽しかったです。 次も名古屋のどこかを走る予定です。



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2017年11月26日

半高ぷらマラ

今日はじんさん企画の「半高ぷらマラ」に参加しました。 メンバーは主催のじんさん、よっちゃん、ツウランさんと私の4人です。
愛知県の半田市から高浜市まで寄り道しながらのマラニックです。

コースは知多半田駅→大蔵餅→赤レンガ建物→国盛酒の文化館→半六邸→ミツカンミュージアム→衣浦海底トンネル→碧南臨海公園→明石公園→やきいも→高浜やきものかわら美術館→衣浦観音→おにのみち(瓦のオブジェが点在する道)→高浜港駅ゴール。約18kmの行程です。

知多半田駅を9:22スタート。 すぐに大蔵餅に寄ります。 美味しそうな餅がたくさんあり迷いました。 ここで栗大福を2個買いました。 1個は途中のエネルギー補給とし、1個はお土産とします。

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そして赤レンガ建物へ カブトビールの製造工場跡地です。 また丁度マルシェが開催されており少し見学。

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次に国盛酒の文化館へ ここは中に入り見学。 1斗瓶発見。 試飲を期待していましたが、試飲はできません
でした。 先は長いので少し我慢です。

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そして半六邸へ 母屋の2階では名古屋場所の時に大鵬が寝泊りしていたお部屋があるそうです。

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国盛酒の文化館と半六邸沿いの半田運河沿いはいい感じの運河です。 小樽の運河に負けない感じでした。 
ミツカンミュージアムへ。  ここは素通りしました。

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次に衣浦海底トンネルへ。 地下12階まで階段を下りて対岸へ走ります。

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碧南市へ入ります。 公園沿いの紅葉の中のロードを走ります。 

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そして「やきいも丸じゅん」へ 焼き芋専門店です。 種類たくさん。 大分産の「甘田くん」を選びました。
凄く甘くて美味しかったです。 大分に時々帰省していますが、「甘田くん」の存在は知らなかったです。

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高浜へ入ります。 三州瓦の産地です。 恥ずかしながら三州瓦の産地が高浜であることは知らなかったです。 高浜市は瓦のオブジェであふれていました。

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そしてゴールの高浜港駅へ無事ゴール。 18.6km。 4時間のマラニックですが、いろいろ再発見できました。
今日のマラニックで各市のイメージは私の中でこうなりました。 さらに調べていこうと思います。

「赤レンガと運河の街 半田市」
「公園とやきいもの街 碧南市」
「瓦の街 高浜市」

昨日の愛岐トンネル群と今日のマラニックで少しは愛知県の事を勉強することができました。 これから何事も興味を持ち続けたいと思います。

主催のじんさん、ありがとうございました。 参加のよっちゃん、ツウランさん お疲れ様でした。

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2017年04月09日

旧東海道花見マラニック

今日は「旧東海道花見マラニック」をしました。
近鉄四日市駅から国道1号線は極力走らず、いつもの通り旧東海道を通って桑名の九華公園に向けて走りました。
14時からスタート。 風は強いですが、天気も徐々に回復していき青空が見えていきました。

スタートしてほどなく、諏訪神社に立ち寄りました。 境内の桜は満開でした。

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海蔵川緑地に到着。 先週火曜日に行った時は桜は2〜5分咲きでしたが、桜は満開で花見客たくさん。

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次に十四川に到着。 ここは桜は少し葉桜になりつつ桜の花びらが川に流れていく風景が良かったです。

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そして九華公園に到着。 桜は見事でした。 柿安でビールと牛串を調達。 公園内を散策しました。 桜を見ながらの散策は何だか幸せを感じました。

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天気のことを考えると今日が最後の花見の見頃だったと思います。

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2017年02月25日

焼き牡蠣蒸し牡蠣 食べ放題マラニック

今日はひろこ隊長主催の「焼き牡蠣蒸し牡蠣 食べ放題マラニック」に参加しました。
まずは近鉄四日市駅から津駅まで30kmを走りました。 マラニックとはいえ、ハイペースになりました。(信号待ち、休憩時間含めて キロ当たり7分04秒) 
何とかついていくことができ完走しました。 結構きつかったです。

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その後、近鉄伊勢志摩ライナーで鳥羽駅に移動。 社内の窓が大きく気分良かったです。

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鳥羽駅から船で答志島に移動。 天気が良く暖かったです。 そして牡蠣小屋に移動。 焼き牡蠣、蒸し牡蠣をたくさんいただきました。

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今シーズンは牡蠣は3回目でしたが、身振りが大きく美味しかったです。 多分30個くらいはいただいたとは思います。
島の雰囲気はのんびりした感じでした。 今度はゆっくり観光したいと思います。

今回企画していただいたひろこ隊長に感謝します。 いろいろと切符手配等大変だったと思います。 おかげ様で楽しい一日を過ごすことができました。
参加の皆さんお疲れ様でした。



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2016年12月30日

晦日マラニック

今日は晦日マラニックに参加しました。 実は初参加です。 近年の腰の不調により長距離マラニックができないことから参加を見送っていたのですが、今回は少し調子が上がってきたので参加しました。

当初は鈴鹿から四日市(約15km)まで走ろうと思いましたが、津から四日市(約30km)に変更。 津のちぇみんADまで電車で移動しました。

ちぇみんADで暫く仲間が来るのを待っていましたが、時間的に余裕があったので伊勢方面へ向かいお迎えランに変更しました。

11:30過ぎに伊勢方面に走り出し、約13km過ぎの松阪市に入ったところで無事仲間と出会うことができ、折り返し、津方面に走りました。

そして再びちぇみんADまで27km、約4時間半で到着。 ADでカップラーメンと豚汁をいただきました。 感謝です。 津から電車で四日市まで移動し忘年会で楽しく過ごすことができました。
参加の皆さんお疲れ様でした。 また主催者のたかさんに感謝です。

今日で月間走行距離400kmを超えました。 腰の調子はまだまだですが、来年も晦日マラニック参加できたらいいなと思いました。

<写真:DSPさん提供>
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2016年10月15日

京都観光マラニックC(最終回)

天使さんから約600m走った後、因幡薬師(平等寺)に到着しました。 

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その因幡薬師の由来は以下の通りです。
(以下の内容は因幡薬師のHPからの要約しました)
**
平安時代、橘 行平(たちばなの ゆきひら)という人がいました。 天皇の命で因幡国(現鳥取県)に神事の為に行きました。そして帰る途中、急病になりました。神仏に祈り続けていると、僧が現れました。

「因幡国賀留津の海中に一つの浮き木がある。その浮き木は衆生済度(人々を救って悟りを得させるため)に遠くの仏の国からやってきた。あなたは速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。そうすれば必ず病気は治る。さらに一切のあらゆる願いが成就するだろう」

行平は正夢に違いないと思い、早速人々を集めて大網をもって海底を探らせたところ、お告げの通り一つの浮き木がありました。それは薬師如来の尊像でした。

行平は喜んでこれを信心しこれを供養する草堂をこの浦に建て薬師如来像を祀りました。

その後、行平の病気は平癒し、無事に京に帰る事が出来ました。ところが帰京した行平にまたある夜、また僧の夢を見ました。

「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。あなたには宿縁(前世からの因縁)があるから重ねて事を示す」

行平が夢から覚めると丁度、屋敷の西門に来客があると家人が呼びに来ました。

行平が「どなたですか」と問うと「因州の僧だ」と返答がありました。行平は驚いて西の門を開けさせたところ、あの薬師如来の尊像が立っておられたのです

さっそく行平は五尺余りの尊像を碁盤の上にのせて安置しました。行平は屋敷を改造してお堂を作り、このお堂を因幡堂と名付けたのです。

**
この平安時代、京都では「東寺」と「西寺」の二つの寺のみを認め、私寺の建立を禁じたということです。 いわゆる桓武天皇の「私寺建立禁止令」です。 しかしこの場合は自分の屋敷を改造したということで大丈夫だったみたいです。(バレなかった??)

またこの因幡薬師(薬師如来)は日本三如来の一つです。 他の二つに長野の善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨釈迦堂(清涼寺)の釈迦如来です。

薬師如来ということで病気を治すというご利益があり、今は「がん封じ」としてお参りする方が多いそうです。

早速皆でお参りしました。

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ここの因幡薬師を出発し南から東へ向かい鴨川を渡ります。 そして豊臣秀吉が祭られている豊国神社へ向かいます。 豊国神社に続く通りは「正面通り」と呼ばれています。 何故「正面通り」なのか??? これは後ほどわかります。

豊国神社の前の「耳塚(鼻塚)」に到着です。 

この塚の由来はこうです。 天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸まで統一しようとした際、朝鮮半島に侵略したいわゆる文禄・慶長の役で朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ(首の代わり)、塩漬にして日本へ持ち帰りこの地に埋められたそうです。 何とも残酷な話で悲しくなりました。

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豊国神社に向かいます。 この通りは「正面通り」です。

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豊国神社。 ここはスルーしました。

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神社に隣接している方広寺に到着しました。 問題の鐘です。 いわゆる鐘銘事件「しょうめいじけん」。 

その事件とは。。豊臣秀頼が家康のすすめで方広寺大仏を再建した際,同じく鋳造した鐘の銘文中「国家安康」の字句が,家康の名を分割し身を切断することを意味し,徳川氏を呪詛(じゅそ)し,「君臣豊楽」の文字が豊臣家の繁栄を祈願していると非難し,大仏開眼を延期させました。これをきっかけに家康と秀頼が対峙することになり、大坂の陣が始り豊臣家が滅亡することになりました。

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「君臣豊楽」「国家安康」の字がくっきり見えます。 白く着色していなければ見えません。「君臣豊楽」が「国家安康」上に書かれていることも良くなかったかもしれません。 

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さて方広寺には大仏がある?(あった?)ということで少しだけ先に進みました。 さて前述の「正面通り」とは方広寺の大仏の正面につながる通りであることに由来します。

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かって大仏があった所(大仏殿)は草ぼうぼうでした。 観光客もいません。

かってここの大仏殿が文禄4年(1595)にほぼ完成。 高さ約19mの木製金漆塗坐像大仏が安置されました。 (奈良東大寺の大仏は約15mなのでそれよりも大きいです)

翌年の慶長元年(1596)に地震(慶長伏見地震)があり、開眼前の大仏は倒壊してしまいました。 その後、再建しようとしましたが、火災や落雷で焼失。 

その後、豊臣秀吉の不人気?ゆえに再建されなく、今に至っています。
近くの電柱には大仏という標識がありました。 ここに大仏があった証のひとつです。

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ここでマラニックでの観光は終わりました。 9キロ近く、2時間半のマラニックでした。 中身の濃く、充実したマラニックでした。 まりもさんに感謝です。 普段観光客が行かない場所を案内していただき、京都の別の側面を観ることができ勉強になりました。

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京都タワーに戻りタワーのお風呂に入り、近くのホテルでfrun20周年のパーティーに参加し楽しく過ごすことができました。 

マラニックからパーティーまで充実した半日でした。 参加のfrunの皆さん、お疲れ様でした。 ありがとうございました。

またこのブログを読んでいただいた皆さんありがとうございました。

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2016年10月13日

京都観光マラニック➂

本願寺伝道院から北上。 狭い道に入ります。 1km弱走ると案内人のまりもさんが「ここを見て下さい」と道端の街区(がいく)表示板まで案内してくれました。

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変わった地名です。 「天使突抜(てんしつきぬけ) 何だろ?」と思いましたが、まりもさんが由来について後ほど説明されるということで暫く走ると神社に到着しました。

ここは五條天神宮です。 

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天神様といえば菅原道真を祭っていると思ったのですが、実はそうではないそうです。 ここは弘法大師(空海)が開いた神社。 少彦名命(すくなひこなのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)を祭っているそうです。 写真では見えないですが、隣にマンションが建っていていて小さなお宮です。

この神社は地元では「天使さん」と呼ばれているそうです。 「天使さん」の由来は。。 「天使さん」はエンジェルを想像しますが、そうではなく下記の様なことだそうです。

この神社の祭神のお一人である「少彦名命」は「天子さん」と呼ばれていましたが、「天子」は天皇という意味なので京の人たちは天皇と同じ天子を呼ぶのは礼儀に反するということで天子を天使に変えたそうです。

そして「天使突抜」の由来は。。かってはこの「天使さん」の今と違って敷地は広かったそうですが、豊臣秀吉が京都に進出した時に都市改造の一つとして、この「天使さん」の南北にぶち抜いて道を通したそうです。

京の人たちは怒って???秀吉への皮肉を込めて「天使突抜」の地名をつけたそうです。 そういう訳で秀吉は京の人たちに人気がなかった様です。 私は秀吉に大阪、京都で人気があると思っていましたが、そうではなかったみたいですね。
また、この「天使さん」は牛若丸が弁慶と出会った場所らしいです。

この「天使さん」を出発し、すぐにまりもさんが路地で「ここを見て下さい」と案内がありました。

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古い様な新しい様な街区表示板です。 屋根の上にありました。 拡大すると

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字体が見ると古いことがわかりました。 「下京区」も右から書いているし、区も區と古い字体を使っています。
下に仁丹の文字が。。

これは森下仁丹が100年ほど前に販促すなわち宣伝を兼ねて全国に設置した表示板です。 しかし戦争によりほとんどが焼失してしまい、戦災がなかった京都に残っている貴重な表示板だそうです。
まりもさんのご近所でも良くみかけたそうです。

見た感じホーロー製に見えます。 大きな傷みもない様です。 この表示板は戦前のものと推測します。
歴史的に価値があると思いました。

もう時間切れになりました。 続きは明日。。まだまだマラニックは続きます。 明日が最終回としたいです。

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2016年10月12日

京都観光マラニックA

島原大門から東へ 約1km先の龍谷大学文学部(大谷キャンパス)へ向かいました。 その途中に西本願寺の大玄関門が見えました。

<皆で走っています>
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<西本願寺の大玄関門>
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龍谷大学到着しました。
<龍谷大学の正門>
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実は恥ずかしながら知らなかったのですが、龍谷大学の起源は西本願寺の学寮だそうです。(学寮とは僧侶が寄宿して勉強した所です) ちなみに東本願寺の学寮は大谷大学です。
私の実家は西本願寺の檀家です。 知らなかったです。。

門から入ると白亜の建物が目に飛び込んできました。 美しいです。 

まずは本館です。
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そして左側の南黌(なんこう)です。
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右側の北黌(ほっこう)です。
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洋風ですが、屋根は瓦で和風です。 窓の形もいいです。 和洋折衷の建物ですが、京の都にマッチしていると感じました。

続いてすぐ近くの西本願寺の唐門に到着です。 国宝です。 これは日光東照宮の陽明門を思わせる華麗な門です。
彫刻は見事です。 しばらく見とれていましいました。 伏見城の遺構と言われています。

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そして近くの西本願寺の御影堂門の前です。
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堀川通り横断して東に向かいます。 門前町の通りは仏具屋が多く、線香の香りがします。 そして目の前にドーム型の建物が見えてきました。

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その建物は本願寺伝道院です。 真宗信徒生命保険株式会社の社屋として明治45年に建築されたものです。 設計は東京帝国大学名誉教授の伊東忠太で有名な建築家です。 今は用途が変わり、僧侶の教化育成の道場として使用されています。

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建物の周りに石像が並んでいました。 これは何でしょうか?  他にも変なゾウもいました。
設計者の伊東忠太は妖怪好きということでこの様な不思議な石像が作られたと思います。

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マラニックは前半終了です。 まだまだ続きます。
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2016年10月11日

京都観光マラニック@

昨日、所属しているfrun20周年イベントとして「京都観光マラニック」に参加しました。 
主催者はまりもさんです。 まりもさんは「京都を走る まちなか編」の著者で京都についてお詳しい方です。 今回は有名な所を回るのではなく、あまり知られていない所を回りました。 私も初めて訪れる場所ばかりでした。 まりもさんのご説明を聞いて大変勉強になりました。 感謝です。 このことを忘れない様に備忘録としてブログに残します。

コースは以下の通りです。 距離は約8.8kmでした。
京都タワー→梅小路公園→島原→龍谷大学文学部→西本願寺→天使突抜通り(五条天神様)→平等寺(因幡薬師)→耳塚→豊国神社→方広寺→山内任天堂→京都タワー

メンバーは11人で京都タワーを13:20に出発しました。  
まずは梅小路公園ですが、ここは残念ながら人が多くパスしました。 鉄道博物館、水族館がありました。

<水族館横を走ります>
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京都市電も展示されていました。 京都市電は日本最初の一般営業用の電車です。 確か明治村にも同じ電車が走っていました。

<古い電車>
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<比較的新しい電車>
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続いて島原に入ります。 ここは幕府公認の遊郭(花街)の町です。

まずは角屋(すみや) 今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店です。 新選組の刀傷の跡や幕末の志士である久坂玄瑞の密議の場所という石碑がありました。 彼らはこの場所に出入りしたと思うと少しわくわくしました。

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そして輪違屋(わちがいや)。 今も営業している置屋(おきや)兼お茶屋です。芸姑さんを派遣する所です。
表を見ると「観覧謝絶」の小さい札があります。これは「一見さんおことわり」の意味です。 京都では良く聞く言葉ですが、お客さんのことを良く知ることにより最高のおもてなしができるということです。 決して意地悪な意味ではないことを知りました。

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そして島原の大門を抜けます。(続く)

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<追記>
何故「島原」と呼ぶかと少し気になっていたのですが、調べてみると東本願寺の北側から京の町の発展と共に当地に急に移転し騒動になったことがあたかも「九州の島原の乱」の直後であった為、「島原」と称されるようになったということです。

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2016年09月11日

四日市ハーバービールマラニック

今日の練習会は「四日市ハーバービールマラニック」ということで企画をして実施しました。 マラニックの主旨は四日市の港周りを走って最後はビアガーデンで乾杯ということです。

コース設定については当初市内の緑地公園の周回をぐるぐる走ってビアガーデンとも考えましたが、マラニックということで走りながら景色等を楽しもうということに変更。 1ヶ月前から構想を練りながら試走を繰り返し決めました。 決める過程で四日市についていくつか再発見できて勉強になりました。 

最終的にはコースは以下の通りとしました。

満殿の湯(お風呂)→(旧東海道)→(浜往還)→中部西小学校(元県庁)→思案橋→四日市旧港(稲葉翁記念公園)→四日市港→臨港橋→千歳運河→末広橋梁→倉庫街→本町通り商店街→(旧東海道)→霞ヶ浦緑地公園→四日市ポートビル:うみてらす14(展望台に登り見学)→霞ヶ浦緑地公園→(旧東海道)→満殿の湯(お風呂)

四日市の旧港と今の港を巡り、最後に展望台に登り今まで走ったコースを眺めるというコース設定としました。

コース図⇒
四日市ハーバービールマラニックコース図.pdf

そして本日、私含めて途中合流含めて10人参加して頂きました。 途中少しハプニングがありましたが、無事終えることができました。 

また仲間同士で新たな発見もあった様でこの場を提供できた者として嬉しかったです。

以下は各ポイントの写真です。

<スタート>
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<中部西小学校>
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<思案橋>
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<四日市旧港>
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<臨港橋>
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<末広橋梁>
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<うみテラス14>
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<ビアガーデン>
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昔大学の恩師からは「自分の住んでいる街くらいは誰か来たら案内できる様に勉強しろ」と言われたことがあります。
今回のマラニックの企画をしながらその言葉を思い出しました。 身近な所からでも新たな発見があるということです。

参加の皆さんお疲れ様でした。

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2016年09月07日

四日市ハーバービールマラニック

四日市ハーバービールマラニックのコースです

四日市ハーバービールマラニックコース図.pdf
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2016年08月15日

東海道プチマラニック

今日は連休に最終日。 お一人東海道プチマラニックでした。 予定コースは旧東海道で亀山宿から関宿までの一区間、僅か6kmです。

JR亀山駅からスタートしたのですが、少しぼっーとしてしまい、逆走して鈴鹿の庄野宿の方向に走っていまい、途中間違いに気づきUターン。 結局16km走ってしまいました。 方向音痴です。 これでは山に行けません。
2時間以上かけて関宿に到着しましたが、亀山に戻る元気がなく電車で戻ろうとしたら大雨で電車はSTOP。 すぐに代行バスで来て無事亀山駅に到着しました。 何とも締まらないゆるゆるマラニックでした。
でも旧街道の面影が残っており、それなりに楽しかったです。

<コース>
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<スタートのJR亀山駅>
人が多く並んでいて不思議だったのですが、後で思うと電車が止まっていたので代行バスを待っていたのです。
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<亀山宿の石碑>
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<亀山宿の街並み>
落ち着いたいい雰囲気です。
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<東名阪道のガード下>
歌川広重の浮世絵が描かれていました。
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<関宿の街並み>
ほとんど人いません。静かでした。
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<関宿の地蔵院>
重要文化財で私にとって関宿のランドマーク的存在です。
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<関宿西追分の石碑>
ここまで走り、Uターン JR亀山駅まで戻りました。
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次は桑名から関まで走ってみます。
posted by あっきー at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | マラニック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

今日も行ってきました

今日も四日市市内を走ってきました。 その前に昨日と同じ四日市市立博物館へ行きました。 今日は「四日市ぜんそく」のことを少し勉強しました。 2日間連続で博物館に行くので妻より「夏休みの自由研究だね」と言われました。 興味があれば少しでも調べたい性格なので仕方ありません。

ランの方ほぼ同じコースです。 四日市の古地図のアプリ(四日市ぶらり)をダウンロードして古地図を見ながら走りました。ポイントポイントで当時の写真を見比べながら走りました。 戦災で跡形も残っていないのですが、想像しながら走るのも楽しいです。

港へ到着すると貨物列車がJR四日市駅から入線し、貨物の入れ替え作業を実施していました。 ここで約20分見学しました。 貨物はいなべ市のセメント工場から運搬されたものを四日市港に運んでいると思われます。 2台のディーゼル機関車を使用して貨物を入れ替えしていました。

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そして今日観たかったのは四日市港にある2つの可動橋です。 この可動橋は同じ運河(千歳運河)にかけられています。
船舶が通る時に跳ね上がる橋です。
まずは臨港橋。 ここは車と歩行者用の橋です。 新しい橋で3代目(1991年竣工)の橋です。 両側に信号機が設置されており、跳ね上がる時に赤になると思います。

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もう一つは鉄道用の橋で末広橋梁と呼ばれ、重要文化財です。 先ほどの貨物列車はこの橋を渡ってきました。 昭和6年完成で私の母と同じ歳です。 現役で頑張っています。

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今度は両方の橋共、跳ね上がったところを観たいです。

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最後は倉庫街を走りました。 港は休日なので人はいません。 潮の香りと共に静かに走れるコースです。


  
posted by あっきー at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | マラニック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする